フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

聖書に明確に罪と定められていない?が気になる問題

それは、自慰行為。ネットを調べれば、この問題が多くのクリスチャンを悩ませていることが分かります。貪欲な情欲が関係するので、お話します。結論を言えば、御霊を持っている人なら、この問題を完全にクリアします。なぜなら、古い人格、情欲、欲望を十字架につけ、すでに死んでいるからです。神の愛がこころに充足していることによって、肉の欲望を満たすことが出来ない状態だからです。パウロが言う「肉の働きを殺すならあなた方は生きる。」に自慰行為も含まれてくると思います。そこで、他の方たちが書いていないことを述べます。まず、以下の事実を認めます。「あなたは、ポルノが好きだ。あなたは自慰行為が好きだ。あなたは神よりも快楽を愛している。」これを、はっきりと認める。「だめだ、止めたい。」などと神に祈っても神に止めてもらえません。あなたは、まだ認めていない。自分で後天的に作った妄想が原因だと。こういうケースは、神は、介入しないと過去に何度もこのブログで書いてきました。まず、自慰行為が好きで止められないことを認める。そのうえで、止めたいなら、自分を十字架につけることです。習慣的なこのような行為をあえて「罪」と言いましょう。さて、神にどう祈るかです。止めたいと祈るのではありません。それは恐らくあなたがすでに、祈ってきたことです。それでは、いつまでたっても解決しません。なぜなら、問題を神に丸投げしているからです。神は人間の罪に直接介入しません。まず、本人が、取り組むべき問題です。つまり、あなたが思いを作り直して、自分を十字架につける。次に、神にこう申し上げる。「わたしは自慰行為が好きです。ポルノが好きです。」と。このあと神に直してくださいとは、お願いしません。ただ、「ポルノが好きだ」と罪を言い表すだけです。問題は自分で解決し、「快楽が好きだ」と神に告白します。そうすれば、問題は解決します。なぜなら、あなたは自分を十字架につけ、罪を告白したからです。それゆえ、神はすべての悪からあなたを御霊によって清めてくださいます。こういう過程を踏まないで、ポルノを見ないようにしても、根本的な解決にはなっていません。あなたが若くても、高年齢者であっても、延々と同じ悪を繰り返すだけです。ほとんどのクリスチャンは今、滅びに至る広い道を歩んでいます。聖化を夢見ていても問題の解決には至りません。あなたが、このブログを読んでいても、ただ話し半分に聞き、相変わらず、同じ過ちを繰り返すのなら、はっきり言います。御霊によって狭められた道を歩まない限り、あなたは死ぬしかありません。アーメン。

 

根拠になる聖句

 

もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。( ヨハネ第一1:9)

 

これが、福音です。上記、聖句の「神のきよめ」をもし、あなたが体験されたなら、あなたは選ばれた聖徒です。御霊によって神の子供とされたからです。ハレルヤ。

栄光の神に感謝いたします

あなたは、わたしに真理の御霊を与えてくださり、罪から完全に解放させてくださいました。わたしは、キリストの血による罪の清めを受け、もはや、罪を犯せなくなりました。あなたによって新しく生まれ、すべてが新しくなりました。これは、パウロが体験したことと同じです。パウロが手紙で御霊によって歩めと繰り返し、繰り返し、信者に警告を与えているその御霊によって歩むことを可能してくださったのです。肉の働きは主の愛がわたしの内に全うしていることによって完全に殺されました。わたしは、罪と戦うこともなく、誘惑に負けることもなく完全に自由になりました。これを、ここに書いたのは、他の信者に対する励ましのためです。福音の力を証しするためです。あなたの驚くべき力の体験者として、これを読んだ人たちに「真実の救い」を伝えるためです。あなたのみことばが、真理であることを証しするためです。あなたを真実に愛する人たちによって、あなたの御名が永遠にほめたたえられますように。アーメン。

イエスさまの約束

わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。(ヨハネ14:16~17)

 

わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない (ヨハネ14:18)

 

その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。(ヨハネ14:20)

 

わたしが後から気付いたことがあります。前回のブログを書いている時点では気付かずにいました。罪を犯せない状態の話です。わたしが受けた「神の力」とは上記の「真理の御霊」ではないかということです。わたしは、神の福音の力にびっくりしていましたが、さらに驚くべきことにその力はイエスさまが、父なる神にお願いして助け主として送ってくださった真理の御霊ではないかということです。それは、わたしを孤児にさせておかず、「いつまでもわたしと共におらせて下さるであろう真理の御霊。」また「その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。」とイエスさまは言われておられたということ。このことが、自分に当てはまるとは、想像していなかったこと。それが、今、分かったのです。だから、体験者はいますか?と聞いても誰もいない理由が分かったのです。クリスチャンが誰もわたしと同じ体験をしておらず、同じ話をしない理由も分かりました。真理の御霊は世はそれを知らず、そのため、世はそれを受けることが出来ないからです。しかし、わたしは知っていました。だから受けることが出来たのです。驚きです。わたしに上記のイエスさまのことばが成就したのです。これで、納得しました。あなたがたは信じないかも知れませんが。もし、信じられる人が少しでもいるなら、信仰によってわたしが、前回ブログに書いたことをあなたも実行してみてください。あなたにも、同じことが起こるかも知れません。アーメン。

あなたはまだ罪と戦っていますか?

神から生まれた者は罪を犯せなくなります。聖書の教えは単なる言葉ではなく、神の力です。それは、人間の単なる思い込みや願いでもなく、神の力により、罪に対して完全に勝利している状態です。「人間にはそれは不可能ですが、神にとってはすべてのことが可能です。」とイエスさまの言われたことは真実です。神の愛の内に留まり、真理の内に堅く立つ者はキリストの内にいます。こういう経験は、人間の側にも努力が必要です。犬が吐いたものに戻ったり、豚が泥のなかで転げ回らないために、自分の邪悪で偽りの妄想を徹底的に作り直しておく必要があるのです。それが、古い人格と情欲と欲望を十字架につけることです。そう思うだけではなく、実際に、肉の働きを殺します。その後、神から聖霊バプテスマが来ます。そうなった後は、神の愛が私の内で全うされているため、肉に従うことが不可能になります。つまり、神の霊の支配下にある状態です。子に自由にされた状態は、罪と戦うことも、誘惑に負けることもなく、全く、自由な状態です。聖書に書かれている使徒や一世紀当時のクリスチャンたちが恐らく経験したと思われる、救われた人たちと同じ状態です。現代の人たちに同じ経験をした人はいるでしょうか?いなくてもよいのです。もしかしたら、少数しかいないのかもしれないからです。私と同じように語っているクリスチャンが、まだ見つかりません。神の憐れみと恵みを受けたのは、恐らく私が、普段から聖句に自分を徹底的に合わせ、神に従って来たからだと思います。ちなみに、私は、幻を見たり、御使いと話しをしたり、イエス(偽物)により地獄や天国へ連れて行かれたり、病気を治したりは出来ませんし、異言も語りません。ただし、真理の霊により、既成の聖書解釈の誤りを正すことは出来ます。以上は私の体験による福音の真実です。罪を犯し続けることに警戒してください。悪魔から出た者となったままですから、神の怒りがまだ、その人の頭上にあるからです。必ず、悔い改めてください。ほとんどの福音派は悔い改めをせず、ただ、信じれば救われると教え、人間の作った教理で人を騙しています。私は各宗派の教えに精通していますが、自身はどの宗派にも属しておらず、キリスト・イエスと結びついています。アーメン。

使徒でも知らなくていいことがあった

20ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。 21ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。 22エスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」 (ヨハネ21:20~21)

 

ペテロはヨハネがどうなるかをイエスさまに聞いています。しかし、イエスさまの答えは「あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」でした。世界中にはもうすでに真のクリスチャンたちが大勢いて、将来、その人たちは大群衆として携挙されますが、その人たちを見つけたいと考えていました。しかし、イエスさまに「あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」と言われそうです。だれが、大群衆なのか、人間には知らなくてもいいことなのかも知れません。アーメン。

牧師が教会で教えること

「神から生まれた者」で、牧師が信徒に何を語っているかを調べてみました。

 

 

1.私たちは何者か。聖書は、「神から生まれた者」であると告げています。

2.「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。」と書いてあります。

3.「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えません。

4.私たちは神によって、神から生まれた者です。

5.そうは言っても、私たちはしばしば誘惑に負けてしまうのではないですか。その通りです。

 

 

この牧師は、上記の5番目を除いて「真のクリスチャンの状態」を聖書から抜粋して書いています。

 

1.「私たちは何者か。聖書は、「神から生まれた者」であると告げています。」

これを教会で聞けば、そうだったのか。牧師さんが言うから間違いない。と思うわけです。

 

2.「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。」

これを教会で聞けば、自分は、神から生まれた。牧師さんがそう言うんだから。と思わされるわけです。

 

3.「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えません。

これを教会で聞けば、確かに自分は、「イエスは主である」と言っているなと思うのです。

 

4.私たちは神によって、神から生まれた者なのです。

これを教会で聞けば、そうなのか。よかった。よかった。と安心するのです。

 

5.そうは言っても、私たちはしばしば誘惑に負けてしまうのではないですか。その通りです。

これを教会で聞けば、その通り。その通り。みんな同じだ。良かった。と思うわけです。

 

さて、5番目を聞いてこの牧師さんは残念ながら、真のクリスチャンではないなと思いました。教会での牧師の説教は「聖書に書いてある。だから、それは、私たちのことだ。」と話すのです。しかし、パウロは手紙のなかで、「もし、キリストの内にいるなら、誰でも神から生まれた者です。」と書いており、「もし」という言葉が書かれており、この「キリストの内にいること」が条件付きであると語っているのです。誰でもが、「キリストの内」にいるわけではないのです。神から生まれた者は罪を犯せないからです。前回のブログでヨハネの手紙を参照聖句として載せたことを思い出してください。神の愛(霊)がその人の内に全うされていて、霊の支配下にあるため、誘惑に負けるどころか、罪を犯せない状態にあるからです。この状態が、「福音の持つ神の力」です。この神の驚くべき力を体験していないのに、私は「信じているから、主と呼べるから、だから神から生まれているのだ」などという思い違いをしてはいけません。牧師の説教の嘘が見破れるなら、あなたも、真理の霊を持っています。いくら聖句を使って話していても、救いが現在のあなたに当てはまるとは限りません。嘘だとわからないのが、教会に通う一般信者であり、あなたもそうではありませんか?しかし、それはサタンからくる滅びのお話です。危険です。まだ救われていないのに、そう思わせる説教をしているからです。聖化の教理では救いは来ません。いくら待っていても無駄です。いつか自分にも罪を犯さない時が来ると。それは進化論を信じている人のようです。神に従わない人にいくら話しをしても無駄ですが、もう一度、繰り返します。真理はこうです。救われた人とは、「神の掟をまもり、イエスの証を守り通し、自分を十字架につけ、キリストの霊を持ち、キリストの血による罪の清めを受け、罪が犯せなくなった人。」この人が神から生まれた人です。これが、真実の福音です。あなたが、そうなることを切に願います。アーメン。

神によって生まれた者はだれも罪を犯さない

御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。(ヨハネ第一1:7)

 

神によって生まれた者はだれも罪を犯さない。 (ヨハネ第一5:18)

 

上記の体験者はいますか?「福音は信じる者に救いを得させる神の力。」とパウロは言いました。

 

 

 

「救われた人はイエスの血により罪を清められた人です。」

 

 

 

3 もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。

4
神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。

5
しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。 (ヨハネ第一2:3~5)

 

 

上記(真のクリスチャン)以外の人たちは誰も救われません。それを知っておいた方が良いと思います。真実は厳しいですが、騙されて救われていると思っているより誠実だと思います。アーメン。