フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

神の御国に入るために

神の御心であれば、わたしたちは何でも出来る。信仰によって神の力が働くからです。からし種程の信仰があれば山に向かって海に入れと言えば、その通りになる。とイエスは弟子たちに言われました。以下のようにならないように気をつけましょう。イエスさま、わたしはあなたが話しておられた時、わたしは一緒にいました。いつもお話を聞いていました。しかし、主イエスは言われる。わたしはあなたがたを決して知らない。不法を行なう者たちよ、わたしから離れ去れと。彼らは主と結びついていなかったからそう言われたのですが、この方こそ、正真正銘の主イエスです。信じていると言いながら、なぜ、わたし(主イエス)に従わないのですか?あなたがたは戸が閉じてしまってから、主よ、開けてくださいという。5人の愚かな乙女たちのたとえがそうでした。それゆえ、戸が閉まる前に準備が出来ていることを示しなさい。

本当のことを知らず妄想と運命に縛られている人間

ものみの塔の人たちが、偽りの統治体から離れ、サタンの教えを全部捨て去り、一から自分で聖書を勉強し直し、真理の霊によって父なる神への悔い改めと主イエスへの信仰、そしてキリストの死と復活を人々に宣教していたなら、あなたたちは世のクリスチャンたちが出来なかった、そしてやるべきだったことをやった立派なキリストの兵士になれた。自分の信仰を統治体に丸投げしたことが誤りだった。確かに世の教会は堕落しています。しかし自分の信仰は、人に任せてはいけません。彼らと世の人たちの共通点をお話しましょう。三者とも真理が分からないことです。ヨハネが聖書の中で語っていたように、彼らは話を聞きません。こうして真理の霊と偽りの霊とをわたしたちは見分けるのです。しかし、いつかパウロが語っていたように、彼らが生きながら悪魔に捉えられていたことを知ることが出来る日が来るかも知れません。神の愛と力は働いているのですから、あとは人間次第なのです。神はたとえ人間が地獄へ行くとしても人間の自由意思を最大限に重視される方。神は邪悪な者の死は喜ばず、すべての人が悔い改めに至ることを望まれていますが、人間は神を知らず、知ろうともしない。愚かでそのこころは、無関心と敵意と強欲で満ちている。どうしようもない人間の救いを神は十字架で証明されました。愚かな人たちには神の愛は永遠に分かりませんが、それが、その人たちの運命です。御霊の発見からキリストの復活信仰をもつことが神の働きです。キリストの復活を宣教する。これが神の御心であり、神とキリストの愛を知ることです。これがキリスト教の奥義です。神の愛と真理を伝えるために弟子たちは喜んで殉教したのです。なぜなら、彼らは、たとえ死んでも生きるからです。彼らは神の愛と真理を知っており、永遠の命を持っています。彼らは死んだとはいえ、神の命の中で生きているのです。このことこそ、妄想と呪いの運命から解放された人たちの自ら選択した結果なのです。神は愛と真理にもとづいた人間の信仰を重視されます。

伝道者の書 4章


1
私は再び、日の下で行われるいっさいのしいたげを見た。見よ、しいたげられている者の涙を。彼らには慰める者がいない。しいたげる者が権力をふるう。しかし、彼らには慰める者がいない。

2
私は、まだいのちがあって生きながらえている人よりは、死んだ死人のほうに祝いを申し述べる。

3
また、この両者よりもっと良いのは、今までに存在しなかった者、日の下で行われる悪いわざを見なかった者だ。

4
私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。

5
愚かな者は、手をこまねいて、自分の肉を食べる。

6
片手に安楽を満たすことは、両手に労苦を満たして風を追うのにまさる。

7
私は再び、日の下にむなしさのあるのを見た。

8
ひとりぼっちで、仲間もなく、子も兄弟もない人がいる。それでも彼のいっさいの労苦には終わりがなく、彼の目は富を求めて飽き足りることがない。そして、「私はだれのために労苦し、楽しみもなくて自分を犠牲にしているのか」とも言わない。これもまた、むなしく、つらい仕事だ。

9
ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。

10
どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。

11
また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。

12
もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。

13
貧しくても知恵のある若者は、もう忠言を受けつけない年とった愚かな王にまさる。

14
たとい、彼が牢獄から出て来て王になったとしても、たとい、彼が王国で貧しく生まれた者であったにしても。

15
私は、日の下に生息するすべての生きものが、王に代わって立つ後継の若者の側につくのを見た。

16
すべての民には果てしがない。彼が今あるすべての民の先頭に立っても、これから後の者たちは、彼を喜ばないであろう。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。

伝道者の書 3章

1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

2
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

3
殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。

4
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

5
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。

6
捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

7
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

8
愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

9
働く者は労苦して何の益を得よう。

10
私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。

11
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

12
私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。

13
また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。

14
私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かを加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。

15
今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。

16
さらに私は日の下で、さばきの場に不正があり、正義の場に不正があるのを見た。

17
私は心の中で言った。「神は正しい人も悪者もさばく。そこでは、すべての営みと、すべてのわざには、時があるからだ。」

18
私は心の中で人の子らについて言った。「神は彼らを試み、彼らが獣にすぎないことを、彼らが気づくようにされたのだ。」

19
人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。これも死ねば、あれも死ぬ。両方とも同じ息を持っている。人は何も獣にまさっていない。すべてはむなしいからだ。

20
みな同じ所に行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。

21
だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。

22
私は見た。人は、自分の仕事を楽しむよりほかに、何も良いことがないことを。それが人の受ける分であるからだ。だれが、これから後に起こることを人に見せてくれるだろう。

伝道者の書 2章

1 私は心の中で言った。「さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。」しかし、これもまた、なんとむなしいことか。

2
笑いか。ばからしいことだ。快楽か。それがいったい何になろう。

3
私は心の中で、私の心は知恵によって導かれているが、からだはぶどう酒で元気づけようと考えた。人の子が短い一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていようと考えた。

4
私は事業を拡張し、邸宅を建て、ぶどう畑を設け、

5
庭と園を造り、そこにあらゆる種類の果樹を植えた。

6
木の茂った森を潤すために池も造った。

7
私は男女の奴隷を得た。私には家で生まれた奴隷があった。私には、私より先にエルサレムにいただれよりも多くの牛や羊もあった。

8
私はまた、銀や金、それに王たちや諸州の宝も集めた。私は男女の歌うたいをつくり、人の子らの快楽である多くのそばめを手に入れた。

9
私は、私より先にエルサレムにいただれよりも偉大な者となった。しかも、私の知恵は私から離れなかった。

10
私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。

11
しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。

12
私は振り返って、知恵と、狂気と、愚かさとを見た。いったい、王の跡を継ぐ者も、すでになされた事をするのにすぎないではないか。

13
私は見た。光がやみにまさっているように、知恵は愚かさにまさっていることを。

14
知恵ある者は、その頭に目があるが、愚かな者はやみの中を歩く。しかし、みな、同じ結末に行き着くことを私は知った。

15
私は心の中で言った。「私も愚かな者と同じ結末に行き着くのなら、それでは私の知恵は私に何の益になろうか。」私は心の中で語った。「これもまたむなしい」と。

16
事実、知恵ある者も愚かな者も、いつまでも記憶されることはない。日がたつと、いっさいは忘れられてしまう。知恵ある者も愚かな者とともに死んでいなくなる。

17
私は生きていることを憎んだ。日の下で行われるわざは、私にとってはわざわいだ。すべてはむなしく、風を追うようなものだから。

18
私は、日の下で骨折ったいっさいの労苦を憎んだ。後継者のために残さなければならないからである。

19
後継者が知恵ある者か愚か者か、だれにわかろう。しかも、私が日の下で骨折り、知恵を使ってしたすべての労苦を、その者が支配するようになるのだ。これもまた、むなしい。

20
私は日の下で骨折ったいっさいの労苦を思い返して絶望した。

21
どんなに人が知恵と知識と才能をもって労苦しても、何の労苦もしなかった者に、自分の分け前を譲らなければならない。これもまた、むなしく、非常に悪いことだ。

22
実に、日の下で骨折ったいっさいの労苦と思い煩いは、人に何になろう。

23
その一生は悲しみであり、その仕事には悩みがあり、その心は夜も休まらない。これもまた、むなしい。

24
人には、食べたり飲んだりし、自分の労苦に満足を見いだすよりほかに、何も良いことがない。これもまた、神の御手によることがわかった。

25
実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができようか。

26
なぜなら、神は、みこころにかなう人には、知恵と知識と喜びを与え、罪人には、神のみこころにかなう者に渡すために、集め、たくわえる仕事を与えられる。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。

伝道者の書 1章

1 エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。

2
空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。

3
日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。

4
一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。

5
日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。

6
風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。

7
川はみな海に流れ込むが、海は満ちることはない。川は流れ込む所に、また流れる。

8
すべての事はものうい。人は語ることさえできない。目は見て飽きることもなく、耳は聞いて満ち足りることもない。

9
昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下に新しいものは一つもない。

10
「これを見よ。これは新しい」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。

11
先にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、それから後の時代の人々には記憶されないであろう。

12
伝道者である私は、エルサレムイスラエルの王であった。

13
私は、天の下で行われるいっさいの事について、知恵を用いて、一心に尋ね、探り出そうとした。これは、人の子らが労苦するようにと神が与えたつらい仕事だ。

14
私は、日の下で行われたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。

15
曲がっていないものを、まっすぐにはできない。なくなっているものを、数えることはできない。

16
私は自分の心にこう語って言った。「今や、私は、私より先にエルサレムにいただれよりも知恵を増し加えた。私の心は多くの知恵と知識を得た。」

17
私は、一心に知恵と知識を、狂気と愚かさを知ろうとした。それもまた風を追うようなものであることを知った。

18
実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す。

 

真理を知る方法

思いを作り直し、こころを神に変えていただき、自分を十字架につけることです。そうすれば肉、情欲から解放されます。これが、罪に打ち勝つ方法です。あなたが望むなら神の力が働くはずです。「キリストに属する者は自分を十字架につけたのです」という方法により世を征服することが出来きます。罪とサタンを退かせましょう。

 

テモテへの手紙 第二 3章に御霊を持っていない人たちの特徴がパウロにより明らかにされています。5~7節で人をたぶらかせる者と愚かな女たちが登場します。

 

 

「愚かな女たちをたぶらかしている者がいます。その女たちは、さまざまの情欲に引き回されて罪に罪を重ね、いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。」  (テモテ第二 3:6~7)

 

真理の意味を悟るには、御霊が必要です。御霊により罪に勝利しましょう。名目上のクリスチャンは救われていません。ここがこわいところです。なぜ人は教会に行くのでしょう。わたしが考えた3つのタイプ。一つ目は神の御心をおこなうため。二つ目は社交の場としていくため。三つ目は教会に異端を持ち込むため。二つ目と三つ目のタイプの人たちが多くいると思いますが、教会に真のクリスチャンと言える人たちが少数はいる筈です。神の愛は証明済みですので、あとは人間から神に近づきましょう。自分から行動を起こすことです。御霊の存在まで気付かれたのなら、それを受けることです。そうは言っても神は神の働き(宣教)をする人に御霊を与えるように思われます。キリスト教会世界で言われていることが真実なら、キリストがわたしたち信じる人たちと全世界の人たちのために死に、キリストが自分の罪の身代わりに死んで三日目によみがえり、今も生きておられるという復活信仰を心の中で信じ持っている人だけは、御霊をもっているのかもしれません。聖書に書かれているからです。信じた瞬間に御霊を受けている。しかし、罪は犯し続けるでしょう。これがあるために、新しく神から生まれる必要性を感じるのです。これも聖書に書いてあるからです。神が成長させてくださることが重要とパウロは語っています。