主イエスと結びついて、新しく創造された人は幸いである
イエスの御名により、魂の救いを得るからである
すべての災いは過ぎ去り、彼らは幸いな者と呼ばれる
ダチョウやジャッカル、若獅子なども喜び歌い、
草木、山や川も手をたたき、栄光の神をほめたたえる
地上にいるすべての被造物の願いはついにかなえられ、
彼らの喜びは全地に満ちる
アーメン
1 このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。
2 こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。
3 あなたがたは、異邦人たちがしたいと思っていることを行い、好色、情欲、酔酒、遊興、宴会騒ぎ、忌むべき偶像礼拝などにふけったものですが、それは過ぎ去った時で、もう十分です。
4 彼らは、あなたがたが自分たちといっしょに度を過ごした放蕩に走らないので不思議に思い、また悪口を言います。
5 彼らは、生きている人々をも死んだ人々をも、すぐにもさばこうとしている方に対し、申し開きをしなければなりません。
6 というのは、死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのですが、それはその人々が肉体においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神によって生きるためでした。
7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
9 つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。
10 それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。
11 語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。
12 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、
13 むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。
14 もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
15 あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、悪を行う者、みだりに他人に干渉する者として苦しみを受けるようなことがあってはなりません。
16 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。
17 なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。
18 義人ががろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。
19 ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行うにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。
1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。
3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。
4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。
5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せて集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。
8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。
(ヨハネ15:1~8)
イエスさまと良い関係があるなら、その人は良い実を結びます。
なぜなのか?考えてみてください。
もし、分からない人のためにお話ししますね。主イエスと結びついているなら、御霊の力を受けるからです。それは、上からの力です。
その力は、神からのものであって、誰も抗うことはできません。
そのため、悪い実を結ぶことができないのです。
そこで、はっきり、分かることは、もし、良い実をつけていない人がいれば、その人は、キリストと何の関係もないということです。
その人は、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せて集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
「主よ、主よ。」と呼ぶ人たちは、神のみこころ(良い実を結ぶこと)を行わなかったという理由で、将来イエスさまから、あなたがたを知らないと言われてしまうのです。
人は、「良い実か悪い実」のいずれかの実を結ぶのです。
「主よ、主よ。」と呼ぶ人たちは、自分たちは、良い実を結んだと考えているようです。
しかし、御霊によらない業(実)は肉の業であって、たとえ、イエスの名を使って、さまざま奇跡をおこなったとしても、それは、神からのものではなかったのです。はっきり言えば、心霊術、魔術のだぐいです。聖書では、それらは、肉の業に分類されています。使徒パウロは、手紙の中で「肉の働きを殺すなら、あなたがたは生きる。」と語っています。
もし、あなたが聖霊をもっているなら、この話の意味がわかります。
アーメン
1 同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。
2 それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。
3 あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、
4 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。
5 むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。
6 たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行えば、サラの子となるのです。
7 同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。
8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。
9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。
10 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、
11 悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。
12 主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう。」
13 もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。
14 いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。
15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
16 ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。
17 もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。
18 キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。
19 その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、みことばを語られたのです。
20 昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟で、水を通って救われたのです。
21 そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。
22 キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。
どうしたら、わたしも罪から解放されるのですか?という質問です。もっともこういう質問をする「積極的な人」自体がいないのです。
この世界が創造される前から選ばれていたからというのがその答え。神の予知に従い、神の憐みと慈しみと大いなる恵みによって神に選ばれていたからです。
聖句をたくさん知っていて、御霊の存在を知り「罪からの解放」を話しているその人が、解放されているとは、わたしは信じない。
理由は、一世紀当時の信者と現代の信者は全然違うから。現代人は甘すぎる。
命を賭けていない。神はふさわしい者を選ばれる。だから、話しが上手で、賛美歌を上手に歌い、世界を飛び回っている宣教師でも、無理です。拷問に勝った人でも、性的罪には弱いことをあなたは知っていましたか?
わたしの話を聞いて一人くらいは、罪からの解放者がオコサレルと思っていたのですが。
肉のはたらきを殺すのがそんなに難しいですか?
実は、みことばにしたがうことは、聖書に書いてあるとおり、簡単なのです。
神の愛だけが、罪からあなたを遠ざけることができます。それと、人間の妄想についての理解が必要です。次に、生理的欲求が最後の難関です。しかし、悪を御使いたちに見られているということを知っていて、なおも罪を犯せるのでしょうか?
ですから、主イエスと結びつくことで罪と戦うことはなくなったのです。罪の原理をすっかり学習して訓練が終わり、命をもたらす御霊を受けて、新しく創造されたからです。イエスさまと一つだからです。
自称クリスチャンの人たちはプライドが高く、感謝もしないから、多分いつまでたっても、分からないだろうと思います。霊から生まれた者は霊であり、肉から生まれた者は肉だからです。わたしにはそう言う人たちを変えることはできません。ただ、伝えるだけです。
しかし、ここで、何か希望を書かないといけない。まず、イエスさまをいつも心に留める。そして、神の愛を知り、罪を遠ざける。そして、神から与えられた霊によって、主イエスに従って歩め!です。
アーメン
1 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
3 あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。
4 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。
5 あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。
6 なぜなら、聖書にこうあるからです。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」
7 したがって、より頼んでいるあなたがたには尊いものですが、より頼んでいない人々にとっては、「家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった」のであって、
8 「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが、またそうなるように定められていたのです。
9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださったかたのすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。
10 あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。
11 愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。
12 異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行いを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。
13 人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、
14 また、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。
15 というのは、善を行って、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。
16 あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。
17 すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。
18 しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい。
19 人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。
20 罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。
21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
1 イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々、すなわち、
2 父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。
3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。
(ペテロ第一1~3)
主よ、あなたの栄光の輝きによってわたしたちを明るく照らしてくださり、感謝いたします。
わたしたちのこころは、あなたの救いの希望によって、喜び踊っています。
すべての被造物も必ず、あなたを賛美し崇拝するのです。
あなたの愛はわたしの喜び
あなたご自身がわたしたちを明るく照らす真理の光です。
アモレシテ ガウディウメウム
テイプスマス フルギブント ルクス ヴェリタティス