フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

牧師が教会で教えること

「神から生まれた者」で、牧師が信徒に何を語っているかを調べてみました。

 

 

1.私たちは何者か。聖書は、「神から生まれた者」であると告げています。

2.「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。」と書いてあります。

3.「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えません。

4.私たちは神によって、神から生まれた者です。

5.そうは言っても、私たちはしばしば誘惑に負けてしまうのではないですか。その通りです。

 

 

この牧師は、上記の5番目を除いて「真のクリスチャンの状態」を聖書から抜粋して書いています。

 

1.「私たちは何者か。聖書は、「神から生まれた者」であると告げています。」

これを教会で聞けば、そうだったのか。牧師さんが言うから間違いない。と思うわけです。

 

2.「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。」

これを教会で聞けば、自分は、神から生まれた。牧師さんがそう言うんだから。と思わされるわけです。

 

3.「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えません。

これを教会で聞けば、確かに自分は、「イエスは主である」と言っているなと思うのです。

 

4.私たちは神によって、神から生まれた者なのです。

これを教会で聞けば、そうなのか。よかった。よかった。と安心するのです。

 

5.そうは言っても、私たちはしばしば誘惑に負けてしまうのではないですか。その通りです。

これを教会で聞けば、その通り。その通り。みんな同じだ。良かった。と思うわけです。

 

さて、5番目を聞いてこの牧師さんは残念ながら、真のクリスチャンではないなと思いました。教会での牧師の説教は「聖書に書いてある。だから、それは、私たちのことだ。」と話すのです。しかし、パウロは手紙のなかで、「もし、キリストの内にいるなら、誰でも神から生まれた者です。」と書いており、「もし」という言葉が書かれており、この「キリストの内にいること」が条件付きであると語っているのです。誰でもが、「キリストの内」にいるわけではないのです。神から生まれた者は罪を犯せないからです。前回のブログでヨハネの手紙を参照聖句として載せたことを思い出してください。神の愛(霊)がその人の内に全うされていて、霊の支配下にあるため、誘惑に負けるどころか、罪を犯せない状態にあるからです。この状態が、「福音の持つ神の力」です。この神の驚くべき力を体験していないのに、私は「信じているから、主と呼べるから、だから神から生まれているのだ」などという思い違いをしてはいけません。牧師の説教の嘘が見破れるなら、あなたも、真理の霊を持っています。いくら聖句を使って話していても、救いが現在のあなたに当てはまるとは限りません。嘘だとわからないのが、教会に通う一般信者であり、あなたもそうではありませんか?しかし、それはサタンからくる滅びのお話です。危険です。まだ救われていないのに、そう思わせる説教をしているからです。聖化の教理では救いは来ません。いくら待っていても無駄です。いつか自分にも罪を犯さない時が来ると。それは進化論を信じている人のようです。神に従わない人にいくら話しをしても無駄ですが、もう一度、繰り返します。真理はこうです。救われた人とは、「神の掟をまもり、イエスの証を守り通し、自分を十字架につけ、キリストの霊を持ち、キリストの血による罪の清めを受け、罪が犯せなくなった人。」この人が神から生まれた人です。これが、真実の福音です。あなたが、そうなることを切に願います。アーメン。