フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

信仰を持つ者と持たぬ者

神にとって不信仰な者たちはいらない。従って神は彼らを滅ぼされる。神はご自分の御心を行なう忠実な兵士を求めておられる。兵士である使徒たちは神から与えられた任務を忠実に果たした。パウロが分かりやすい例である。忠実な使徒たちが行なったことが神への愛と隣人への愛である。選ばれた者たちというのは、こういう信者たちのことである。従って、イエスが語られたように、愛(アガペ)が欠如し、罪(肉の業)を犯し続ける、「主よ、主よ。」と言う者たちを神は退ける。

 

神は信者の願いをかなえてくださる

 

信者たちの願いについては、神は御心のままに求める者に与えられる。神の御心であれば必ず神はその者たちの願いをかなえてくださる。このことを人は信じなければならない。時間がかかっても与えるべきものを神は与えてくださる。聖霊バプテスマはイエスさまに求め続けることについて、お伝えしてありますが、求めたことを「すでに受けた」という信仰が必要なことをここに、あらためて付け加えておきます。

 

分かりにくい罪について

 

聖書に明確に罪と定められていないものは罪ではない。書かれていないことを罪と言うのは人間の考えである。それに従う必要はない。食欲、睡眠欲、性欲の罪は貪欲であることが罪なのです。貪欲は偶像礼拝だからです。つまり貪欲を避け自制の実を結べばよいのです。つまり放縦ではなく、御霊の実である自制をする必要があるということです。食べ過ぎ、眠りすぎは貪欲である。性的な罪はたとえ正式な夫婦間の関係であっても貪欲な性欲のまま歩むのは罪である。結婚しているなら、配偶者以外の生きている男女その他の生き物との交わりは不品行であり罪である。結婚していないなら生きている男女その他の生き物との性的交わりは不品行であり罪である。共通している性的罪は、相手が存在していることと貪欲であることです。生きている相手が存在していなければ罪に問われない。貪欲でなければ罪に定められないということです。御霊の力によって独身者が情欲を永久に抑え込まねばならないという考え方は、神の意図したことではありません。テモテには情欲を遠ざけるように教え、他のクリスチャンには淫行がはびこっているため、情欲に燃えるよりは、結婚する方が良いとパウロは勧めました。パウロが語った、「肉の働きを殺すならあなた方は生きる」とは、御霊によって歩むなら、律法を成就することになるという意味です。肉の業が罪なのであり御霊はそれを退けることが出来ます。

 

キリスト・イエスと結びついていれば、罪に定められない

 

艱難にある信徒たちの希望はキリスト・イエス。その名に信仰をもつ信徒を神は救われる。神に不可能はない。深い愛を待たれる父なる神に栄光と賛美と威力が永久にありますように。アーメン。