フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

聖霊のちから

ローマ7章でパウロは肉の働きについて述べましたが、8章からは彼がキリストと共に生きていることが分かります。御霊の働きは強力です。体が購われていないため、以下の聖句はどんな状態かが謎でした。たとえば「いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放した」と書いてありますが、どういう意味か?解放されているとは?あなたがこの体験をしているなら、神の子です。神の命令を守り、光の中を歩み、罪に定められない生き方をすることが、このブログの目標です。そして真理の霊によって人間から教わる必要がなくなることです。学校の先生のように知識を伝える牧師さんがこういう状態かどうかは、はなはだ疑問です。教会に通う信徒たちもです。かれらはまだ自己愛から抜け出せていません。信じるだけで救われると説くのはそのためです。信者もそう信じたいのです。もしあなたが、神の卓越した愛の啓示をうけ真に神の愛を知ったなら、御霊を受けている筈です。そういう人は聖書に書いてある通り、自分を十字架につけることができます。罪からの解放です。キリストが自由にしてくださったからです。神から新しく生まれたのです。この体験をしてください。聖霊を受ける方法は聖書を読む、覚える、考える、聖霊を求め続ける、人のために祈り続ける、あらゆる機会に証しをすることなどを続けることです。これに加え、祈りを神が聞いてくださることを体験していることも含まれます。病の癒しは出来ませんでしたが、悪霊を退ける、神と隣人を愛することは続けてきました。神を愛するとは神が嫌われることをせず、喜ばれることをすることです。以下は、参考聖句です。

こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。(ローマ8:1~2)もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。(ヨハネ第一1:6~7)私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。
この方こそ、私たちの罪のための—私たちの罪だけでなく、世全体のための—なだめの供え物です。もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。( ヨハネ第一2:1~5)