思いを作り直し、こころを神に変えていただき、自分を十字架につけることです。そうすれば肉、情欲から解放されます。これが、罪に打ち勝つ方法です。あなたが望むなら神の力が働くはずです。「キリストに属する者は自分を十字架につけたのです」という方法により世を征服することが出来きます。罪とサタンを退かせましょう。
テモテへの手紙 第二 3章に御霊を持っていない人たちの特徴がパウロにより明らかにされています。5~7節で人をたぶらかせる者と愚かな女たちが登場します。
「愚かな女たちをたぶらかしている者がいます。その女たちは、さまざまの情欲に引き回されて罪に罪を重ね、いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。」 (テモテ第二 3:6~7)
真理の意味を悟るには、御霊が必要です。御霊により罪に勝利しましょう。名目上のクリスチャンは救われていません。ここがこわいところです。なぜ人は教会に行くのでしょう。わたしが考えた3つのタイプ。一つ目は神の御心をおこなうため。二つ目は社交の場としていくため。三つ目は教会に異端を持ち込むため。二つ目と三つ目のタイプの人たちが多くいると思いますが、教会に真のクリスチャンと言える人たちが少数はいる筈です。神の愛は証明済みですので、あとは人間から神に近づきましょう。自分から行動を起こすことです。御霊の存在まで気付かれたのなら、それを受けることです。そうは言っても神は神の働き(宣教)をする人に御霊を与えるように思われます。キリスト教会世界で言われていることが真実なら、キリストがわたしたち信じる人たちと全世界の人たちのために死に、キリストが自分の罪の身代わりに死んで三日目によみがえり、今も生きておられるという復活信仰を心の中で信じ持っている人だけは、御霊をもっているのかもしれません。聖書に書かれているからです。信じた瞬間に御霊を受けている。しかし、罪は犯し続けるでしょう。これがあるために、新しく神から生まれる必要性を感じるのです。これも聖書に書いてあるからです。神が成長させてくださることが重要とパウロは語っています。