フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

パウロが語った愛について

コリント13章に書かれていることです。この章でパウロが何を言いたいのかをお話します。あなたのこころに、神が住んでくださるようにということです。あなたが新しく創造されるようにということです。キリストとひとつとなりなさいということです。

 

神は愛だからです。ヨハネは愛には恐れがなく、兄弟を憎まないと書いており、ペテロも兄弟の愛情に愛を加えるようにと書きました。

 

パウロは「御霊の賜物には、いろいろあっても、愛がなければそれらは、無意味である。」と言って、たとえを使って、愛を強調しました。

 

エスが金持ちの青年に自分の持ち物を全部、売ってから、わたしのところへ来なさいと言われた話は有名です。もし、青年がそのようにするなら、イエスは何と言われたか?「天に宝を蓄える」と言われたのです。神と隣人に対する愛がなければ、自分の持ち物を全部、売ることは、出来ないことです。ですから、わたしは、パウロが、愛を強調するために、「体を焼かれるために渡しても。」だとか、「持ち物全部を貧しい人に分け与えても。」と例えを使ったのです。このことは、愛がなければできないからです。愛を強調するためにパウロはこのような表現を用いました。

 

こころに、「愛の光、聖さの光、真理の光が」あることは、神がその人と共に住んでおられる証拠です。

 

だれかに、愛を行うためには、その人と共に神がいなければ、それは、不可能です。

 

それで、コリント13章の実践には、上記のような理解が必要なのです。あなたが、キリストの内にいるなら、パウロが語った愛は、すべて可能だと知ってください。

 

たとえば、イエスさまが言われたことで、女を見続けた時、神と共に見続けたなら、こころの中で、姦淫を犯すことはないのです。

 

ですから、「わたしのこころは神に」「あなたの愛はわたしの喜び」なのです。

 

ちなみに、あなたに悪を行った人についてですが、パウロは、「人のした悪を思わず」と書いていますね。

 

実際には、思うことはありません。神の愛がこころを満たしているため、その人は消滅しています。

 

ちょうど、光があるところには、罪も悪も同居出来ないからです。

 

しかし、もし、あなたに良いことを行った人がいれば、その人を用いた「神の愛の光」は残るのです。

 

つまり、あなたのこころに「愛の光、聖さの光、真理の光」これらは神のことですが、主が住んでおられたなら、あなたも神の栄光を体験することが出来るということです。

 

聖書の解釈は、ただ文字を読んで解釈するのではありません。神の霊感を受けて書かれた書物は、神の人が、御霊で読み、解釈するのです。

 

アーメン。