フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

人間は神に救いを求め続けなければなりません

あなたが神に新しくされたら、このブログの目的は達成です。神の愛があなたにあるならあなたは神に従えるようになります。自分が新しく作り変えられるよう神に求め続けてください。あなたが求めなければ、神は与えることが出来ないからです。汚れとは神に従い得ないものです。クリスチャンの敵である「悪魔と配下の悪霊たち」は汚れた霊と呼ばれ彼らは神に従うことはできません。彼らのもつ「不従順の霊」は汚れています。この世の神、霊的闇の支配者です。「この世」もこの闇の霊に支配されており、汚れています。聖徒も含めてすべての人間の「肉」も汚れており、神に従い得ません。パウロが言っていたことです。肉とは神の霊と比較する時に使われる表現です。容易にからみつく罪がこの肉にあります。肉は何の役にも立ちません。パウロは自分の体を打ちたたいて引いて行くと述べました。これが、出来るのは神の愛の霊、キリストの霊をもっている聖徒たちだけです。主イエスは「汚れ」について、それが人の心から出て来て、人を汚すと言われました。肉の影響を受けた心の状態です。もし、神の霊が人のこころに宿っていれば、その人は肉ではなく霊の支配下にあります。肉のあらゆる汚れを遠ざけることが出来ます。この時のこころには「神の愛」があるのです。愛は光であり闇を遠ざけるのです。光と闇は決して共存出来ないからです。救いは主イエスの十字架における死と復活を信じイエスを愛することです。この救いが、父なる神の「義」であり「約束」であり「法的力」です。イエスさまがご自分の命で信じるの者の命を買い取ることで、救いが成就したのです。信じる者は主イエスにその命を買い取られ、父なる神の中に信じる者の命が隠されています。もし、信じると口先で言ったとしてもキリストの十字架に逆らって生きるなら、神を信じようとしない大多数の人たちの最終結果と同じになるのです。命が買い取られたなら、キリストの奴隷です。パウロもペテロもそうでした。この信仰と愛が父なる神のみこころです。「罪に従えば罪の奴隷。義に従えば義の奴隷」です。キリストの霊をもつ人たちが決して罪に定められないのは、汚れた肉の罪の影響を退けることが出来るからです。これが命をもたらす霊の法則が罪と死との法則からあなたを解放したという言葉の意味です。救われた人たちのこころには「神の愛」があるのです。御霊の愛です。愛は隣人に対して悪を行ないません。神の愛は情欲をもって異性を見ることをしません。世の霊、サタンの霊は人間の肉を刺激します。これらを退けるのが「御霊の愛」、「神の愛」、「キリストのこころ」です。この世に存在するものは、神に敵対する神の愛をもっていない人たちの汚れた肉から発した罪が作り上げたものです。それらは人間の肉の欲望と悪魔の意志によって作り上げられました。それらはこの闇の世において強固に守り固められています。パウロは、これらを打ち砕くために神によって強力にされた者と自らを証ししています。この悪魔の支配の状態から抜け出るためには、人間の信仰と神の憐れみと恵みが必要です。人間は神に救いを求め続けなければなりません。神によって新しく生まれる必要があります。なぜなら「この世と悪魔と肉」の力が強大だからです。ここまで聞くことができたあなたは幸いです。あとは、あなたが神に救いを求め続けるだけです。わたしはあなたに証ししました。アーメン。