神は愛であり善である。神が最初に万物を創造した時はすべてが良かった。悪も呪いも存在しなかった。しかし、サタンとアダムが自由意思の誤用により、神に反逆したため、地は呪われ、悪と死がこの世界に入った。これにより、苦しみが始まった。神には何の責任もない。これをよく覚えておいてください。
憐れみと慈しみに富まれる神はこの状態をイエスの十字架での死と復活により、完全に回復される。
義と平和と喜びの世界は未来で成就する。神が愛で、善である証拠を信者は必ず体験する。
昔から存在する苦しみの原因は悪を行う、サタンとそれに従う人間によってもたらされた。神に従う者は神と隣人を愛し、平和を愛し、善を行うため苦しみの原因をつくらない。
地獄で悪人が永遠に苦しむという教えはサタンから来たもの。永遠に苦しまない理由は、悪人は永遠の命を持っていないため。サタンも同様に永遠の命を持っていない。よってゲヘナに落とされた者は消滅する。苦しまない。イエスさまは神との永遠の切断より、命に入ることを望まれるために、地獄の話をされた。地獄は「苦しむ場所ではなく、神と永遠に切断されること。」神もイエスさまもそれを望んでいない。
神が生命体を地獄で永遠に苦しませることはあり得ない。ゲヘナはゴミ箱のようなもので、サタン、悪霊、悪人、死が入れられたあと、ゴミ箱自体も消滅する。すべてを新しくする新天新地では不要となるため。
人間が悪を犯すことを知っていながらそれをなぜ、神は許すのか?人間の自由意思を重んじ、善か、悪かを人間に選ばせるため。義人が悪人に殺される理由は、義人が信仰を全うして神の栄光を表すため。
信仰を持つ前に、無残に殺された犠牲者は、命の書に名があれば、滅びることはない。復活する。
全知全能である神は、アダムの失敗を予測されており、イエス・キリストによる十字架での死と三日目の復活により、救いの道を用意されている。「イエスを信じる信仰による救い」という逃れ道を神は用意された。人は恵みと信仰により救いを体験する。救いとは、「たとえ死んでもよみがえり、生きていて信じる者は決して死なない。」こと。あなたはこれを信じるか。信じる者は救われる。
人間が悪を行おうとしていることをなぜ、神は止めなかったのか?神は人が悪を制するかどうかを人間に選ばせた。選択の自由が人間にある。善を行うことも悪を行うことも人間は選べる。また、キリストの十字架による「救い」によって、神はイエスを信じる人を死後に復活させることが出来る。アベルはカインに殺されたが、復活する。人はすべて、命の書にもし名があれば、救われ復活する。
人間は弱く、悪を行う存在だが、イエスを信じる信仰によって、人間が望めば、神は人を「水と霊」により新しく創り変えることができる。これを可能にしたのがイエスの血と御名である。これ以外に救いはない。この方法が神が人を救う唯一の方法である。
最初から罪を犯さない完全な状態でなぜ人間を創らなかったのか?ロボットならできた。しかし、人間はロボットではなく、神に従うことも、反逆することもできる自由意思を持つ者として神は人間を創造された。
愛であり、善である神がなぜ悪を創ったのか?悪人は悪い日のために、そして悪人は裁きの日のため必要となるため。悪魔は人間の神に対する信仰を試すために神に用いられたあと滅ぼされる。
キリストを知らないで死んだ先祖は地獄へ落ちて苦しむのか?命の書に名が書かれていれば、地獄へ行かない。白い御座の裁きでふさわしく裁かれる。また、たとえ、ゲヘナへ落とされても、消滅するだけで、永遠に苦しむことはない。永遠に苦しむという教えは聖書の曲解である。
アーメン。