フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

キリストによる救いはあなたが十字架につくことから始まる

エスさまを信じているなら、イエスさまのようになる必要があります。御霊を受けなければ救いはありません。イエスさまが行われたことは、十字架で死なれ、復活したことです。奥義を伝えます。あなたが、十字架で古い人格と情欲と欲望を十字架で殺すなら、復活します。復活とは、御霊を受けることです。この御霊が新しい命なのです。この人は、罪を犯せません。主イエスと共に死んでしまった者は、罪が許されているからです。この人が、イエスの名により、永遠の命をもっているのです。ヨハネが手紙で語っていたことです。十字架で死んで復活していない人には、ヨハネが語った、「イエスの名に信仰をもつ者は永遠の命をもっている。」ということばは、当てはまりません。信じる者とは、自分をイエスさまのように十字架に付け、一度死に、御霊を受けて復活する人のことです。これが、もう罪と戦わず、誘惑にも決して負けない人です。もっとも、誘惑など死んだ者にはありませんが。命をもたらす霊の法則が罪と死との法則からあなたを解放したという聖句が、あなたの上に成就していないなら、あなたは、キリストに属していません。SNSで多くの牧師たちの救いの教えや救われる方法を話しているのを聞く限り、この状態に達した牧師は一人もいません。このブログで語った奥義こそ、救いに関するあらゆる論争を終わらせる教えです。もともと、パウロも、ペテロも聖書にすでに書いていることです。それは、救いとは、イエスさまのように自分を十字架につけること、そして御霊を受け、新しい命に蘇ることです。神はご自分が望む者に御霊を与えられます。この話は、単なることばではなく、現実に起こることです。体験者の証しです。わたしはこれを証ししなければならないのです。御霊を受ける人は、聖書に書いてある証しによれば、この世界が創造される前から、選ばれていた人たちです。アーメン。ハレルヤ。