フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

主に従う者が救われる

誰も楽して、天国へは行けません。永遠の命は神からのプレゼントですが、場合によっては自分の命を捨てる覚悟が必要です。信じる者は自分を十字架につけ、キリストの霊を持つ。これがキリストに属する者。律法を聞くだけで坐している者は入れない。「主よ、主よ。」と言うだけの者は救われない。指導者がイエスさまの言葉を無にして教えるから、救われることがない。しかし、ある牧師は教会に行って、バプテスマを受け、献金をして教会の仕事をしていても、名目上のクリスチャンは救われていない。なぜなら、倫理的、道徳的変化がないためと指摘していましたが、全くその通りだと思います。信者は行いに変化があらわれます。行いは救いとは関係がないのではなく、行いこそ真のクリスチャンの証なのです。理解できたでしょうか?聖さ、愛、真実の信仰。これらを持って、狭められた命の道を歩む。この聖別された生き方が真のクリスチャンの生き方です。主イエスに従うなら、聖霊バプテスマを受けます。もし、あなたが今後、御霊を受けることがあれば、神に従うことは、むずかしくありません。アーメン。

 

補足

 

従うとは、律法を行なえば救われるという意味ではありません。あくまでも、主イエスを信じる者は、イエスに従うという意味です。信じる者は御霊によって律法を成就するのです。これも、信じればいいではなく、神によって備えられた良い行ないを愛と信仰を持って行なうという意味です。