フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

罪を犯してはならない

エスさまは、「もう罪を犯してはいけません。」と遭遇した人たちに諭されました。「罪とは的外れ」のことです。神のみこころに反するすべてのこと。範囲が広いです。ペテロは、主イエスを信じて従う真のクリスチャンは「古い人格と情欲と欲望を十字架につけた。」と聖書で語っています。パウロも「情欲に従ってはいけない。」と手紙に書いています。つまり、情欲に従っている者は、クリスチャンではないのです。救いとは関係のない不信仰の人たちの通常の生き方と言えます。姦淫、淫行、不品行、、好色、汚れと呼ばれているものの根底にあるものが、偽りの情欲になります。非常に多くの聖職者たちが犯す性的罪です。彼らは救われていません。彼らが犯す罪は生きた相手との関係です。たとえば大人や子ども(男女)が相手です。これらはいずれも聖書で明確に非とされています。しかし、聖書で沈黙していることもあります。それについては私も沈黙します。パウロが「情欲に燃えるよりは結婚したほうがいい。」、「淫行がはびこっているので、結婚した方がいい。」と述べている手紙があるので、情欲は相手がいる関係と考える方が自然です。「御霊」を持ち、「神から生まれた人」は、肉に支配されません。こころが、偽りの情欲(罪)を望まないからです。悔い改めが成功し、神がその人に御霊と自由を与えたからです。これを神が与えてくださいます。「真理はあなた方を自由にする。」「福音はすべて信じる者に救いをもたらす神の力。」と聖書に書かれていることをあなたが体験できるよう願っています。福音派が述べている罪を犯しつつ、天国に行くことが出来るという教えは非聖書的教えです。指導者が体験していないからそう教えるのでしょう。罪を十字架につけるのは誰ですか?ペテロいわく、人間です。つまり、悔い改めを本気で行い、妄想を断ち切ることです。あらゆる悪は汚れた心から出るからです。これが成功すれば、御霊を与えられるでしょう。神が新しく生まれさせてくださるでしょう。救いはここから始まります。父なる神と主イエスは永遠の命を持っておられ、終わりの日に、一人ひとりを復活させてくださると約束されています。罪と戦い、是非勝利してください。「罪を犯してはいけません。」とイエスさまが言われた以上、罪に勝利出来ると思いませんか?イエスさまを信じる信仰がここにあります。アーメン。