1.わたしたちにも神の力が与えられているという気づき
2.四位一体の概念がわたしに与えられた
3.聖霊の内住、聖霊のバプテスマ、神の霊が宿っている限り肉ではなく霊の支配下にある、神の臨在、聖霊の満たし、キリストと結びつく、新しい創造、額に神の御名とイエスの御名が書かれている、水と霊によって新しく生まれる等はみな、「父なる神、キリスト・イエス、聖霊」(三位一体の神)と信者がひとつであるという気づきを与えられました
もし、わたしに「からし種」ほどの小さい、実際にはもっと小さい極小の信仰があるなら、わたしにも、その信仰に応じた神の力が与えられているに違いないという理解が与えられました
「福音はすべて信じる者に救いを得させる神の力」とパウロは語った
「神の力は信じる者の内に今も働いている」と聖書に書いてあります
しかし、もし、神に聞き従わなければ、神に退けられます
サウル王、ソロモン王、その他、たとえ預言者であっても神に退けられたのです
従わない、サウル王とその他の預言者は神に殺されました
預言者エリヤ、エリシャは神に聞き従いました
エリヤは列王記第二1:9~12で計100人の兵士を天から火を降らせて殺しました
エリシャは列王記第二2:23~24でエリシャをからかったため、二頭の雌熊で計42人の小さい子供たちを裂き殺しました
奇跡は神が行われたのです
何が言いたいのかと言うと神と結びついている人が願えば、それが神のみこころに合っていれば、神は彼らの願いをかなえてくださるということです
人間の側からいえば、黙示録7:14で「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を子羊の血で洗って白くしたのである」と書いてあるので、彼らが信仰により、神の力を使って自分で自分の衣を白くしたのです、つまり、彼らが罪に勝利したのです、神の力を使ってです
一方神の側から見れば、黙示録6:9~11で「白い衣を与えられた」殺された人々がいると書かれてます つまり、神が白い衣を与えたと書いてあります
黙示録1:5で「イエス・キリストがわたしたちを愛し、ご自分の血によって罪から解放してくださった」つまり、神が罪からの解放を行ってくださったということです
つまり、奇跡は神が起こします
驚くべきことに、信仰をもった人は、その信仰に応じて神の力を持ちます、神が働かれるためです
小さい信仰の人は小さい神の力を持ちます、神がその人の願いをかなえるということです
つまり、人間が信仰によって、神の力を使って人間が世に勝利するのです(神は世に勝った人たちを勝利した者と呼びます)
神のみこころに合ってさえいれば、神は彼らの願いをかなえてくださます
これを四位一体とわたしは理解しました、三位一体の神と一つだからです
ですから、いつまでも待っているという、受け身では勝利できないということが、お分かりいただけたでしょうか?
アーメン