わたしは、シスジェンダー異性愛者であった。つまり、普通の多数派。異性を恋愛対象とし、異性に性的欲求をもつ者として生まれた。
LGBTQIA+、Xジエンダーではないという人。
御霊の油注ぎについて、ヨハネが語っているが、神の霊が注がれた場合の心理的変化を記録しておこう。
イエスさまが言われたような、女を見続けることはない。姦淫のこころを持たない。異性に対して情欲がない。
これは、御霊を受けたあとのことです。
つまり、死んだとは、「極小の信仰」を使って、「神の力」を使い、肉を殺し続けた結果、聖書で否とされた状態(肉の業)が消えたということ。
自分を十字架に付けた者はキリストに属する者。つまり天使のようになるということ。
では、異性について、どう感じるか?
男性が、男に恋愛感情や性的欲求を抱かないのと全く同じになる。
性的に何にも感じない。
わたしは、酒、タバコ、女性を全くやらない人。賭け事も勿論やらない。
これが、罪からの解放です。エッチな考えも浮かばない。この完全勝利は神の栄光です。
世に打ち勝った者です。
あり得るのです。これが、神の力であり、福音はすべて信じる者に救いを得させる神の力の実体験です。
観念論でそうだと言っているのではないのです。実質的な力の体験を証ししています。
自分の衣を子羊の血で洗って白くした者、別の言い方では、神が白い衣を着せてくださった者です。
異言(いげん)は関係ありません。霊が変化しただけでなく、体を神の栄光のために使っている者です。
これで、パウロ、ヨハネ、ペテロたちが手紙で伝えたかったことがわたしに成就したのです。
ハレルヤ、アーメン
あなたもこれを目指せばいいのです。イエスさまが言われた、「もう罪を犯してはなりません」
「主イエスが死んで蘇られたのは、あなた方が罪を犯さないようになるためです」
このことの成就です。
ハレルヤ!
あなたが、もし、小さな信仰をもっているなら、神の力を必ずもっているのです。
その神の力(信仰)を使うなら、世に勝利出来るのです。
これを信じること。「イエスがキリスト」だと信じるとはこういうことだったのです。
アーメン