人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません
3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
(ヨハネ3:3、7,8)
キリスト教でいう救いとは、「新しい創造です」。ところが、この神の力を体験している人がまず、いません。
由々しき問題です。神がみこころのままにふさわしい者に御霊を与えます。再創造にふさわしい者にです。
「新しい創造」それは「罪からの解放」です。あなた方にとって未体験の観念論の世界です。
パウロが手紙に書いた「福音はすべて信じる者に救いを得させる神の力。」とはあなたがたにとって、観念です。それは、ただの言葉であって、実際に体験していないという意味です。
キリストと結びつかなければ、新しく生まれ変わることはできません。
さて、どうしたらよいか?それは、あなたが考えることです。
キリストが火と聖霊でバプテスマを与えてくださいます。イエスを信じることは、イエスに聞き従うこと。ちなみに、火について、わたしは、火で罪を取り除いてくださるとは考えていません。火は滅ぼすことと考えています。
さて、どうしたらよいか?何度も繰り返し伝えてきたことですね。やはり、肉を十字架につける。
ここからスタートではないでしょうか?罪を犯すことが、絶対にいやだと思わないと無理です。
あなたの古い人格とサタンは、妄想を使ってきますよ。ここまでわかっていても、次は生理的欲求があります。
さあ、あなたは、罪に勝利できるのでしょうか?
ここまで、詳しく語り、「あなた(神)の愛はわたしの喜び」と語ったわたしは、勝利したのではないでしょうか?
勝利しました。それでは、御霊を得た後の話をしましょうか。
なおかつ、まだ、やってくるのか!それならば、わたしが誰なのかをおしえてやろう!と言って、自分の立場を明らかにするのです。
「わたしは、神に選ばれた者、どうして罪を犯すことができようか?」と「誰か」に宣言するのです。
誰かとは、自分に対してとサタンに向かってです。こうして、闇は敗北します。
アーサーなら、ここで、「カッケー」とでもいうのでしょうか?知らんけど。余裕、余裕。(笑)
わたしは異言を語れないし病人を癒すこともできない。何の力もないただの塵にすぎません。
しかし、誇るべき方がおられます。それは、十字架のイエスさまです。
ここまで、お話して、お分かりいただけたでしょうか?えっ、まだ分からない!?信じない?
こんなに詳しく証ししても分からないなら、「驚き、怪しめ、そして消え去れ!」と言いましょう。
アーメン