フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

信仰がないから御霊を受けられない

罪に勝利出来る人は信仰のある人です。イエスに対する愛が無い人はみことばに従いません。従おうとしても、従えないのは、イエスと結びついていないためです。

 

これで、多くの人が御霊をもっていない理由が説明できます。律法を行うから救われるのではありません。イエスを信じる信仰によって、水と霊によって新しく生まれ変わる。もし、子に自由にされた人は律法を守り、救いに至ります。これが救いの奥義です。「もし」という言葉はパウロも使います。イエスさまが、父なる神にお願いして御霊を与えます。このため、「もし」なのです。

 

救われた状態が上記の状態なので、それを神に求めてほしい。聖書に救いの説明が書かかれていても、救いの状態になっていなければ、その人は救われていない。

 

多くの教会での教えは、この点で信者を欺いている。救いは、自分を十字架につけ、罪を逃れ、キリストの霊をもつこと。これができなければ、信者とはいえないのではないでしょうか?なぜなら、「神にとってはすべてのことが可能です」という、イエスのことばを信じていないからです。

 

罪はこころから生じます。そのため、誘惑をいくら避けても無駄であることをあなたは知っていると思います。アダムの命が罪であり、キリストの命が義だからです。

 

罪を実際に制する力が神からくることをあなたは経験しなければなりません。罪に勝利するには理由が必要です。それは、「神を悲しませたくない」という理由です。これが真の悔い改めです。これが、欠如しているのです。つまり、多くの人は真に悔い改めていないので、神に忠実ではなく、自分の都合によって、いつでも、神を裏切るのです。このことを神はご存知です。

 

御使いが、額に印をつける人たちは、真の悔い改めをした人たちだけです。

 

あなたがこれからやることは、自分から神に近づき、神に対して真の悔い改めをし、上記を祈り求めることです。

 

アーメン。