14 彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているからだ。わたしは彼を高く上げよう。
15 彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。
16 わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。
(詩編91:14~16)
24 わたしが呼んだのに、あなたがたは拒んだ。わたしは手を伸べたが、顧みる者はない。
25 あなたがたはわたしのすべての忠告を無視し、わたしの叱責を受け入れなかった。
26 それで、わたしも、あなたがたが災難に会うときに笑い、あなたがたを恐怖が襲うとき、あざけろう。
27 恐怖があらしのようにあなたがたを襲うとき、災難がつむじ風のようにあなたがたを襲うとき、苦難と苦悩があなたがたの上に下るとき、
28 そのとき、彼らはわたしを呼ぶが、わたしは答えない。わたしを捜し求めるが、彼らはわたしを見つけることができない。
29 なぜなら、彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、
30 わたしの忠告を好まず、わたしの叱責を、ことごとく侮ったからである。
31 それで、彼らは自分の行いの実を食らい、自分のたくらみに飽きるであろう。
32 わきまえのない者は背信で自分を殺し、愚かな者の安心は自分を滅ぼす。
(箴言24~32)
人には二種類の結末があります。人はどちらかに属します。その責任はやはり、人間にあるのです。言い訳は出来ません。神は行ないによって裁くのです。不信仰で悪を行なう者は滅び、義人は信仰によって生きるのです。アーメン。