フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる

1 それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。

2
絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。

3
それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。

4
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。

5
もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。

6
私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。

7
死んでしまった者は、罪から解放されているのです。

8
もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。

 

(ローマ6:1~8)

 

わたしたちは、罪に対して死んだ者です。つまり、死んでしまった者は、罪から解放されているのです。

 

この状態が、救われた状態です。パウロが、証ししたことは、救いの説明です。現代の人たちは、この状態になっていません。

 

そこで、これを、クリスチャンの信仰によって、現実にするのです。なぜなら、罪に勝利しなければ、救いはないからです。ただ、信じているといってもダメなのです。

 

教会に通っていても、無理なのです。自分で、もっとしっかり、やることです。

 

受け身では、何も変わらない。悟ることです。あなたが、神を見つけるように。

 

アーメン。