信仰とは何か?それは聖書に定義されています。しかし、新生していないなら、何も分かっていません。救われてもいません。そもそも聖霊のバプテスマを受けていないから、想像するだけなのです。
真理の霊を持たない人たちの話をいくら聞いても無駄です。何も変わりません。学校の先生の講義を聞いているのと一緒です。知識はあっても意味を知ることが出来ないとしたら、理由は神の霊がないからです。
神の霊。これは、前々回このブログでお話した信仰があれば受けられます。あれをせよ、これはしてはならない、というイエスの教えをすべて行なえるからです。もう、肉に従うことは出来なくなりました。つまり「見よ、すべては新しくなりました。」というパウロのことばが成就したのです。もし、神の霊をもっていれば、キリストに属しています。もっていないなら、悪魔から出ています。罪に支配されず、御霊による歩みができるなら、その人は聖別されています。
ネットで、いろいろな人たちがいろいろなことを書いたり言ったりしていますね。プロテスタントには沢山の宗派があります。私はかれらの話を参考にすることはありません。かれらは、神の霊を知らないので、意味が分からないようです。聖書は謎めいています。神のことばとイエスさまが真理ですが、そのことがやっと分かってもなぜ、信者が聖霊のバプテスマが受けられないのかが、謎でした。
その答えは、彼らは信者ではなかったからです。厳しいですが、本当です。
信仰とは何かを彼らに聞いて見てください。かれらは信仰を知りませんが、あなたには伝えました。イエスさまに従いつつしばらく待ってください。まだ、罪を犯している人がいるなら、その人は除外します。前々回このブログでお話した信仰は、人が殉教する時のものだからです。その信仰を今すでに持っているなら、その人が、選ばれた者です。イエスさまのためなら、どんなことも出来るからです。アーメン。