フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

苦しいときの神頼み

普段から神に背を向けて生きている人が、苦しいときに「神様お願い。」と言ったとしても神は助けに来ない。かえって神はその人をあざ笑う。普段から神をあざけっているからだ。聖書にこう書いてある。「わたしの勧めをことごとくなおざりにし懲らしめを受け入れないなら、あなたたちが災いに遭うとき、わたしは笑い恐怖に襲われるとき、嘲笑うであろう。恐怖が嵐のように襲い災いがつむじ風のように起こり苦難と苦悩があなたを襲うとき。そのときになって彼らがわたしを呼んでもわたしは答えず捜し求めてもわたしを見いだすことはできない。」(箴言1:25~28)しかし信者は普段からこう考えている。人がもし、神の掟を守ろうと行動するなら、神にはいつでもその信者を助ける用意があると。そのことを信者は知っている。この信仰が義と見なされる。信仰のない人は信じていないから神に従うことをしないし、仮にやろうとしても「出来ませんでした。」で終わる。