フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

神は邪悪な者の死を喜ばない

しかし、悔い改めて神のもとへ来ないなら、そのまま放っておかれる。神は人間の自由意志を尊重される。ノアの洪水時代や西暦70年当時も、そして今後の破滅時代も人が破滅すると分かっておられても神は奇跡を用いて人を変化させたり、救うということをされない。信仰のない者を救う必要はないからです。そういう者には神の怒りがとどまっているのです。当然です。しかし信仰があれば救われます。神を信じず、愛さず、崇拝しない者たちが今の日本に多くいるけれども、救われないとしてもそれは自分が選んだ道なので仕方がないのです。悪魔に生きながら捉えられているから、だから悪魔が悪いと言ってもすべての責任は本人にあるのです。自分の好きなように生き、その結果が滅びになることを、知らないのはクリスチャン以外の人たちです。そういう人のことはイエスさまの言われたように放っておくのです。救われることは、信者であっても大変なことです。努力が必要です。信仰を保つために時には命を捨てる必要があるのです。あなたが、どん底の経験をして、聖書の神様に出会えたらラッキーです。それでも簡単に救われることはないでしょう。イエスさまを信じるという意味が分からないでしょう。分からないから求める。それが信仰なのです。死ぬまで信仰です。諦める人、信じない人は主にふさわしくありません。イエスさまに従うということは、イエスさまの言うことを聞くということです。なぜ、聞く必要があるのか?イエスさまが誰だか分かりませんか?分からなければ調べることです。しかし、それをしない。だから結果は自己責任なのです。イエスさまを愛さない者、憎む者は死を愛する者。パウロはこう言いました。「主を愛さない者は呪われるがいい。」全く同感です。信仰よりお金がほしい?お金があっても命を取られたら、無意味です。しかし、信仰があれば、たとえ死んでも生きるのです。あなたはこれを信じますか?