フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

人が滅びる理由

信仰がなく、神に従わないため。このことに気がついた人は、熱心に神を捜し求めましょう。お金も大切です。生活に必要だからです。耳のある人はこのようにしましょう。少しの時間を使って聖書を読む。そして神の言葉に触れ、どういう意味かをよく考える。そして聖句を覚える。これを繰り返す。祈りも非常に大切です。興味がなければ、いつか興味が持てる日が来るまで、神は待ってくださるでしょう。ノアの時代がそうでした。イエスはノアの口を通して当時宣教しました。どうして分かるのか?ペテロの聖句からです。いつイエスが宣教したかを、多くの盲目の聖書解説者は、黄泉下りをした時と本気で信じています。しかし、真理の霊は違うといいます。そのときは、イエスは神の霊(言葉)として宣教しました。多くの盲目の指導者はノアの時代にイエスがノアの口を通して宣教したことを知りません。さて、信仰が与えられたなら、今度はイエスに従いましょう。信仰とはイエスに従うことです。イエスを信じるだけで救われる。行動は救いとは関係ないと本気で教えている盲目の指導者が多い。イエスご自身は聖書の中で、私に従わないのは何故かと言っておられます。従うとは愛のこもった信仰による業です。従わない人は、観客席に座って聖書劇場を見ている人に似ています。ただ見てそれで終わりです。愛がないので、神と関係が持てない。従って御霊を持っていません。この責任は、愛のないその人自身に帰します。現代の教会の現状はこうです。まず、盲目の人たちがおり、その人たちが教会に行く。その人たちを待ち受けている盲目の教師がいる。そこで二人とも穴に落ち込む。多くの宗派が存在している理由がこれです。これを聞いて、この話が本当なら、どうするかと考えることです。嘘だと思う人もいるかも知れません。あるいは、分からないと思う人もいるでしょう。イエスを信じたら、すくに御霊が来ると教えている指導者がいます。信じたつもりの人に御霊は来ません。御霊を受けて新しくされた人は、生き方が変化させられます。これが、福音を信じた人に起こる神の力です。この話を聞いてくださった方たちは、この話の意味をよく理解してください。救いは終わりまで忠実を保つならという条件つきです。イエスさまご自身がそう聖書の中で語られました。一度救われたなら、救いを失うことはないという嘘に騙されないように。聖書にそうは書かれていません。パウロの信仰は「神の愛から何者も引き離せない。」と手紙で証していますが、彼は父なる神とキリスト・イエスを熱烈に愛しており、神によって強力にされた信仰をもち、死に至るまで忠実でした。アーメン。