フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

避けるべき人々

1 終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。

2
そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、

3
情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、

4
裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、

5
見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。

 

(テモテ第二3:1~5)

 

真理に従わない人々はいつの時代にもいます。教会の外は勿論、教会の中にもいます。兄弟と呼ばれる人でこういう人がいれば、何回か訓戒した後、悔い改めなければ、彼らを退ける必要があります。パウロの時代の前にもパウロの時代にも、そして現代にもいるのです。御霊を持たない人たちです。御霊といっても分かりずらいなら、人は真理を学びそれに従う人と無視する人に分けられますが、真理に従う人は聖書でいう御霊を必ず持っています。真理は神のことばであり、いのちであり、霊だからです。真理に従う人はキリストをもっているのです。キリストが真理だからです。キリストに従うことは神の掟を守り行うことです。キリストの内にいるともいい、神によって新しく生まれた者と聖書で定義されています。真理の霊も御霊も同じです。愛がなければ神に従うことはできません。神は愛だからです。主を呼び求めている人たち、つまり聖霊をもっているはずの人たちが、もし不義を行うなら、御霊を失うのです。白い衣を汚すと言います。犬が吐いた物に戻るとも、豚が泥の中で転げまわるとも言います。イエスさまが言われたことは起こり得るのです。罪を犯しても悔い改めるなら、神は赦して下さるでしょう。ダビデが悔い改めたように。しかし、ダビデは波瀾万丈の人生を送りました。命を狙われる経験です。つまり、神は罪を赦されますが、処罰を免れさせることは決してないのです。悔い改めない人は罪を犯し続けます。彼らのことは神にお任せします。アーメン。