フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている

エスがペテロを叱責した言葉です。直接的にはイエスのためを思ってペテロがイエスをたしなめたことに対するやり取りですが、ここにヒントがあります。人間よりも神の御こころの方が大切なのです。(勿論、隣人を愛することは大切です。)心の中に神が住んでいる人、人より神のこと考える人、神の側に立つ人であれば、神の法と秩序が踏みにじられていることを嘆き悲しむことが出来ます。神が住んでいない人、神より人のこと考える人は「口では神を敬っていても、心は遠く離れている」と神が非難した人々のようであり、このようであってはなりません。「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」この人たちは人より神のことを考え、悔い改めに至った人たちです。

主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行われているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」この後、神は、額に印のない人たちを、滅ぼす者たちに命じて、 年寄りも、若い男も、若い女も、子どもも、女たちも殺され、滅ぼされました。恐らく皆、偶像礼拝をしていたと思われます。その理由を、主は「イスラエルとユダの家の咎は非常に大きく、この国は虐殺の血で満ち、町も罪悪で満ちている。それは、彼らが、『主はこの国を見捨てられた。主は見ておられない』と言ったからだ。」と言われました。神に背を向けている人間は愚かで神に痛みを与えています。神に痛みを与えていることを愚かな人間は知ろうとしないだけではなく、故意に悪を行ない続けるのです。悔い改めについて「神はあなた方に対して辛抱強く待っておられる。」「あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」 (ペテロ第二3:9)この忍耐は、長く苦しんでおられる(long suffering 長い苦しみ)という意味です。

さて、結論です。神のことを常に思い考えましょう。昔から地上では人々により悪事が行なわれてきましたが、人ではなく、神のことを思いましょう。神のこころに痛みを与えていることを覚えておくことです。悪に関しては人間が問題であって、いずれ、神は彼らを滅ぼされます。神の痛みに思いを馳せるることができれば、あなたも嘆き悲しむことが出来ます。神の御こころを行ない、あなたとわたしの額に神の印がつけられますように。未来からのメッセージに従って。アーメン。