フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

聖書の判断を適用する際に考えてみましょう

多数派のいわゆる、シスジェンダー異性愛者のひとたちには理解しがたい、LGBTQIA+およびXジェンンダーについて考えてみましょう。今回は、医学と聖書の基準の話です。いつもと違う話しです。

事例は4種類くらいしかないのですが、トランスジェンダーの人と、ゲイの人が亡くなった後、解剖した結果分かったことがあり、医師の見解によると、性自認については、性ホルモンが決定するのではなく、脳の赤核の大きさが自分の性自認を決定するらしい。赤核は男性のほうが女性より大きく、体が男性で性転換手術をした人は3人とも赤核が女性と同じ大きさだったという。残りのゲイの人は体が男性で赤核も男性の大きさだったという。このケースは聖書的に非である。医師が性同一性障害と診断し、性転換手術まで行なった人(約50%くらいの人たち)はおそらく、自分勝手に自分を男性或いは女性と決めているわけではなく、赤核に何らかの異常が起こっていると考えられる。このケースのみ聖書で禁じている、習慣や慣習で後天的に作られた同性愛と違うと思われる。このケース以外に、同性愛、両性愛全性愛、無性愛などがある。精神科の医師がこういう区分をしているようだ。Xジェンンダーの人たちも大きく4種類に分類されているが、おそらく聖書的に彼らの性自認は認められない。つまり、性自認は、脳の赤核が決定するため、ここに異常があれば、病気と考えられる。ソドムとゴモラの人たちとは違うようだ。彼らは獣姦なども行ない、後天的に自ら堕落した人たちである。当然聖書的に認められれない。医師の診断後、性同一性障害と診断され、性転換手術までする人は、病気であり、(一部の医師は赤核の先天的奇形と考えている)手術後、いろいろ問題を抱えることもあるが、本当の自分になれてよかったのではないだろうか。わたしは、このケースのみ、聖書の判断として可と認めたい。なんでもかんでも賛成したり、反対したりはしない。脳の赤核の大きさは本人が決めることが出来ないからだ。しかし、一般的な単純な意味での同性愛者同士の結婚は認めない。