フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

風に揺れる葦

今回は、聖書からではなく、別の視点から考えてみましょう。風に揺れる葦は強い。子供の頃、イソップ物語で強い樫の木よりも、風に揺れる草の方が強いのだという話を読んで、そうだと思った。強くて立派な樫の木は強風で倒されてしまったが、柔軟な草の対応はあえて風に逆らわずに揺れていたので難を逃れたのである。つまり、生き残ったということ。

 

強さは脆い。わたしたちは融通の利かない、愚かな者ではなく、柔軟な考え方や生き方が時には求められる。

 

さて、ここから、どう話を展開してゆくかが、問題です。

 

だから、聖書の考え方は古臭い。今の時代に合わない。と書けば、そうだ、そうだという人も出てくるでしょう。

 

だから、神などいないなどと頑なに考えて生きるより、もう少し柔軟に考えてみることも必要ではないでしょうか?と書くこともできるのです。

 

 

日が沈むころ、さびしい場所でただ一人じっと、風に揺れる葦を眺めていれば、人生ははかないものだ。このむなしさを「諸行無常」というのだ。という悟りを実感することもできます。

 

「そこで、何をやっているんですか?」などと突然、後ろから声をかけられれば、誰でもビクッとするわけです。

 

振り返って見ても誰もいない。と書けば、怖い話になる。

 

まあ、いずれにせよ、ここに、長くいてはいけないのです。早く家に帰らないと。

 

「帰れれば、いいね。」

 

普通の人はここで腰を抜かし、クリスチャンなら、ここで、「ああ、帰れるとも。」と笑って、余裕で帰るのです。