8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。
9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。
10 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、
11 悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。
12 主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう。」
13 もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。
14 いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。
15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
(ペテロ第一3:8~15)
花嫁は光輝く、きよい麻布の衣を着ることが赦された。その麻布とは聖徒たちの正しい行ないである。(黙示19:8)
神を知り、福音に従う者は 心の中でキリストを主としてあがめる人です。
結局、勝利する者とは、神に従う者なのです。
では、もし、上記の教えを軽視する自称クリスチャンはどうなるのでしょう?
勿論、答えはタイトル通りです。
理由は、不信仰だからです。
まだ、異論がありますか?
アーメン。