57 さて、彼らが道を進んで行くと、ある人がイエスに言った。「私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます。」
58 すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」
59 イエスは別の人に、こう言われた。「わたしについて来なさい。」しかしその人は言った。「まず行って、私の父を葬ることを許してください。」
60 すると彼に言われた。「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」
61 別の人はこう言った。「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」
62 するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手に鋤をつけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」
(ルカ9:57~62)
あなたは神の国にふさわしいですか?みことばを学び、その意味をもし悟れるなら、口先で従うというのではなく、行動で示すことです。今の時代、口先で従うと言う人さえおらず、ただ教えを聞いて何もしません。パウロは律法を聞く者が救われるのではなく律法を行う者が救われると言いました。勿論ここでいう律法を行うと言っても、パリサイ人のように自分の義で救われようとする意味ではありません。神の義による恵みと信仰による救いとは、イエスを信じて主に従うことです。アーメン。