1 イエスはもう一度たとえをもって彼らに話された。
2 「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。
3 王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった。
4 それで、もう一度、次のように言いつけて、別のしもべたちを遣わした。『お客に招いておいた人たちにこう言いなさい。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。」』
5 ところが、彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、
6 そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。
7 王は怒って、兵隊を出して、その人殺しどもを滅ぼし、彼らの町を焼き払った。
8 そのとき、王はしもべたちに言った。『宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。
9 だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』
10 それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。
11 ところで、王が客を見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。
12 そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。
13 そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ』と言った。
14 招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」
(マタイ22:1~1)
自分のこころの中に神への愛と隣人への愛がある人は、神と結びついています。神は愛だからです。結局、聖くある人で且つ愛のある人が選ばれているのです。教会に行ってバプテスマを受け、礼拝を捧げていた外見上熱心な人たちも3年以内にいなくなるケースが多い。今、教会に出席している人たちは、皆、高齢化が進み若い人はほとんどいないでしょう。兄弟を愛せない人は神を愛せない。愛は神からのものです。もし神と隣人を愛しているなら、これによって、あなたが神から選ばれていることが、はっきり分かるのです。これこそ、パウロが言った信仰の証です。だれでも持っているわけではありません。教会の牧師たちは、パウロの信仰の証を聖書で読んで、さもそれが、自分たちのことのように、説教しますが、違うのです。選ばれた人たちのことばです。神の愛から決して何者も離しえないという証は。アーメン。