パウロが良く使う教えです。この意味を知ったのは私が真理の御霊を受けてからです。一世紀当時のクリスチャンたちは、ほとんどの信者がイエスがキリストだとを信じることによって御霊を神から受けていたようです。彼らは御霊を受けていたため、パウロの言う意味がよくわかっていたと思われます。しかし、現代では単にイエスを福音の三要素を知って信じたつもりになっていても、牧師たちでさえ、御霊を持っていない。牧師たちは学校の先生が数学や物理を教えるように聖書を知識として教えていますが、彼ら自身の告白によれば、公然と罪を犯していることを話し、神と聞く人たちに罪の告白をしています。この点は正直で良いのです。問題は何故、御霊を持たないかです。その理由は、古い人格が邪魔をしているため罪を犯す。そのため、御霊を受けられないのではと分析しています。つまり、思いを作り直すことに失敗している、自分を十字架につけていない、そして聖化、栄化の教理がかれらを盲目にしている。これが、原因で神に選ばれていない。そのため御霊を受けられない。つまり、そもそも、御霊を持っていないので、御霊によって歩むことが理解できていないということです。ご参考になれば。アーメン。