艱難は必ず起こることが定まっています。その艱難が来たときにイエスさま(岩)と結びついてしっかりとした信仰を築き上げて来た人はその固い信仰によって救われます。もう一方の砂の上に家を建てた人たち(イエスさまのことばを守らない人たち)は信仰の欠如によって滅びます。終末預言に書かれている艱難にあなたはどう備えますか?今から救いのための準備をしておくことです。まだ、間に合うはずです。御使いは今、救われる人たちの額に印を付けています。これがいつ終わるか分かりませんが、終わった時は救われる人たちの救いが決まり、それ以外の人たちは、滅びが決まります。つけ終われば、「地の四隅にいる四人の御使いたちが風を解き放ちます。」獣の出現を抑えていたあの「いま引き止めてもの」が取り除かれ、艱難がスタートします。風は艱難を意味します。大艱難は獣(不法の人、滅びの子)による、あの売ることも買うことも出来ない状態になることによって引き起こされます。命の書に名が記されていない人たちは全員、獣の刻印を額か右手に受けます。666が現われてから主の日が来ます。キリストの再臨です。もし、その日数が少なくされなかったら、肉なる者はひとりとして救われる者はいないとイエスさまは言われました。選ばれた者たちのためにその日は短くされます。マタイ書では荒らす憎むべき者が聖なるところへ立つのを見たならイエスさまは山へ逃げ始めなさいと警告されました。当時はローマ軍が荒らす憎むべき者でした。将来は666です。では、将来における逃げるべき山とは何ですか?地上のどこであっても逃げる場所はありません。なぜならそれは人の住む全地に起こるからです。何が起こるのですか?御使いたちによる選びです。携挙か、残されるかです。「主よ、どこでですか?」と弟子たちはイエスさまに尋ねました。特定の場所ではなく、全地です。地上の全地で残された人たちは死体となります。そこには、はげたかが集まります。では山とは、何ですか?人の子の前に立つことが出来るようにいつも油断せず祈っていなさいとイエスさまは教えてくださっています。愚かであってはいけません。答えは祈りです。祈りが山なのです。油断せずに祈ることを毎日行ってください。「人の子の前に立つことが出来るように」とです。いつ来るか分からないその日に毎日備えていましょう。では、救われるように定められた人たちよ。いつも油断せず祈り、イエスさまを王として受け入れましょう。そして子に口づけし、頭を上げ、主よ来てくださいと言いましょう。アーメン。