フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

神の国について

エスさまが神の王国の王として王座につく時が来ます。この光景を肉体を持って生きている人たちは、目視することは出来ません。神を見ることが出来ないのと同じ理屈です。第一の復活をしてイエスさまのありのままの姿を見ることが出来るようになってから、霊的な王国を見ることになります。ですから、パリサイ人たちがイエスさまに神の国についていつ来るのかと尋ねたとき、まず、いつ来るかは天の父だけが知っているため答えることはできないことと、神の国は肉体を持った人間には目に見えないため聖書で分かりにくい答え方をされたと思います。ただ、イエスさまが王国の王ですから当時、「パリサイ人の間にいる」という意味で「あなたがたのただ中にあると言われたのです。霊的に実在する王国は肉体を持った人間には見えないのです。ここから気づいたことですが、聖書ではイエスさまが巨万の軍を率いて再臨される時、人々は巨万の軍を見ると書かれていますが、イエスさまを見ることができるのは、イエスさまと同じような復活の体を持った人たちだと考えると、これは文学的表現であって実際には目に見えないのかもしれません。このことは、起こって見ないと分かりませんが、イエスさまが、「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。」と断言されていますので、悪を滅ぼす石(神の国)は目に見えないのかも知れないのです。艱難の後、再臨されるイエスさまは、「 いなずまが、ひらめいて、天の端から天の端へと輝くように、人の子は、人の子の日には、ちょうどそのようであるからです。」 (ルカ17:14)と言われました。この説明も分かりにくいですが、まるで一瞬で来られ、人の目には見ることが出来ずに、再臨時の救い(携挙)と再臨後の滅び(ハルマゲドン)はそれぞれ一瞬で終わると考えるとわかるような気がします。人間の目に見えるのか見えないのかです。目に見えず、一瞬であれば、確かに人間には分からないのです。イエスさまの謎めいた言葉は、こう考えると意味が分かるのです。しかし、あくまで仮説です。

 

 

参照聖句(ルカ17:20~21)

 

20 さて、神の国はいつくるのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。

21
『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」