フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

苦痛を何度も経験したとき

身体的、精神的苦痛(拷問のように感じるもの)を何度も受けた人は、人生の喜びを奪われます。こんなときの心情に近い聖句は、ソロモンの伝道の書(1:1~3)だと思う。共感する人は経験者です。何をやっても楽しく感じられない状態。苦しみを体験し聖書を捨て、信仰も捨てた人がいます。なぜ、わたしにこうしたことが起こるのか?という疑問からです。そのような本をかつて読んだことがあります。その人の信仰が試されました。神のいない人生は空しいことを教えたといわれる伝道の書ですが、栄華を極めたソロモンも身体的、精神的に打ちのめされた経験があるのだろうか?この世と欲望は過ぎ去りつつあり空しいものだという教えを頭で理解するだけではなく、体験知によるソロモンの一時的、病的状態。厭世的感情が伝わって来る聖句です。こんなときには何と声をかけるのがよいのでしょう?一例として、こう話してみるのはどうでしょう。「ソロモン王さま、王としてのあなたの労務は極めてきついかと存じ上げます。ゆっくり、お食事を取り、少し休むようにされてはいかがでしょう。そうすれば、また元気を取り戻すことが出来ましょう。そのあとで、再び神にお仕えするのはいかがでしょう。」人間にとって、「なぜ頑張らないんだ。」とその人を責めるより、優しい語りかけで寄り添った方が、その人にとって「いやし」になります。「賢い者の舌は人を癒す」

 

参照聖句( 伝道の書1:1~3)

 

1 エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。

2
空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。

3
日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。