ものみの塔の人たちが、偽りの統治体から離れ、サタンの教えを全部捨て去り、一から自分で聖書を勉強し直し、真理の霊によって父なる神への悔い改めと主イエスへの信仰、そしてキリストの死と復活を人々に宣教していたなら、あなたたちは世のクリスチャンたちが出来なかった、そしてやるべきだったことをやった立派なキリストの兵士になれた。自分の信仰を統治体に丸投げしたことが誤りだった。確かに世の教会は堕落しています。しかし自分の信仰は、人に任せてはいけません。彼らと世の人たちの共通点をお話しましょう。三者とも真理が分からないことです。ヨハネが聖書の中で語っていたように、彼らは話を聞きません。こうして真理の霊と偽りの霊とをわたしたちは見分けるのです。しかし、いつかパウロが語っていたように、彼らが生きながら悪魔に捉えられていたことを知ることが出来る日が来るかも知れません。神の愛と力は働いているのですから、あとは人間次第なのです。神はたとえ人間が地獄へ行くとしても人間の自由意思を最大限に重視される方。神は邪悪な者の死は喜ばず、すべての人が悔い改めに至ることを望まれていますが、人間は神を知らず、知ろうともしない。愚かでそのこころは、無関心と敵意と強欲で満ちている。どうしようもない人間の救いを神は十字架で証明されました。愚かな人たちには神の愛は永遠に分かりませんが、それが、その人たちの運命です。御霊の発見からキリストの復活信仰をもつことが神の働きです。キリストの復活を宣教する。これが神の御心であり、神とキリストの愛を知ることです。これがキリスト教の奥義です。神の愛と真理を伝えるために弟子たちは喜んで殉教したのです。なぜなら、彼らは、たとえ死んでも生きるからです。彼らは神の愛と真理を知っており、永遠の命を持っています。彼らは死んだとはいえ、神の命の中で生きているのです。このことこそ、妄想と呪いの運命から解放された人たちの自ら選択した結果なのです。神は愛と真理にもとづいた人間の信仰を重視されます。