フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

人間の価値と救いの祈り

神は人間を存在させるために宇宙と地球を創造された。地球上に、もし動物、植物、菌類だけしか存在しなければ、それは神にとって意味がなかった。人間がいなければ、宇宙も地球も存在する意味がなかった。人間を創造されたのは、勿論人間が必要だからである。また人間にとって神がおられなかったらその人の人生は意味がないといえる。このように神と人間はこの地における霊的関係において、互いに相手を必要とする霊的家族関係にあった。神が人間を創造するつもりがなかったら、宇宙も地球も存在せず、霊的世界においてのみ、父なる神と御子イエス・キリストそしてケルビム、セラフ、御使いたちが存在していたことになる。すべては「ことば」であるイエスによりイエスのために創造されたが、このことと上記は矛盾しない。「神は愛」であり人間を愛しておられるからだ。しかし、神は罪を赦すことはされない。そのため、イエスが十字架上で友のために血を流され、私たち信じる者のために罪を身代わりに負って下さった。これが神の救いのご計画であり、このイエスの死と復活により私たちは救われた。 

 

この世は、アダムゆえに呪われた。選ばれた者たちを救うために神はこの世界を火により滅ぼされる。それから、まず千年王国を実現させ、その後、最後の審判を経て、新しい天と新しい地を創造される。なぜなら、天にあるものと地にあるものとをイエスにより、愛によってひとつにするためである。そのため、これから起こることが定まっているすべての災いから私たちを守るため、イエスは私たちにいつも油断せず、祈っているように命じられた。なぜなら、その日は突然、人の住む全地に臨むからである。イエスはこのことを聖書の中で私たちだけでなく、すべての人にも語られた。すべての人がイエスを信じて救われることを神は願っておられるからだ。しかし信じない人たちは残念ながら滅びてしまう。ちょうどノアの日のように。ですから、私たちは「人の子の前に立つ」ことができるよう、いつも油断せずに祈っていましょう。

 

「しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」(ルカ21:36)