フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

イエスが神の王国へ導いて下さる

救世主イエスが死と苦しみにあふれたこの危険な世界から私たちを安全な世界へと導いてくださいます。この方から、離れないようにしっかりついて行きましょう。行きつく世界は愛と喜びと平和に満たされた永遠の世界、神の住まわれる新天新地です。その世界は真実であり現実の世界です。到着した時には私たちは、体も心も新しくされ、神のみ顔を仰ぐことになります。そのことを私たちは非常に楽しみにしています。イエスに信頼するなら、決して失望することはありません。イエスは永遠の命の泉へと導いてくださいます。なぜなら「神は愛」だからです。人間の約束ではなく神の約束は、必ず実現するのです。信じましょう。もしこれほどの救いを信じない者、イエスについて行かない者がいれば残念ながら捨てられるのです。神は人間の自由意思を重んじられる方だからです。神を憎む者は死を愛する者です。「主を愛さない者はだれでも呪われよ。主よ、来てください。」とパウロはコリント会衆宛てへの手紙の中で書きました。(コリント第一16:22)呪われるとは永遠の命をみすみす逃し、愚かにも滅ぶということです。信じる者は、さまざまな苦難を通らなければならないでしょう。苦難があっても基本的には神が守ってくださいます。神の保護下にあるからです。しかし、将来、迫害があります。一世紀当時、12使徒の中で、ヨハネ以外は皆、殉教しました。パウロは12使徒ではありませんでしたが同じく殉教しました。彼らは神の栄光を表して喜んで死んでいきました。迫害で殉教する人たちは、自分が神に選ばれて死んでいくことを非常に喜ぶのです。ですから今後、迫害で命を落とす人たちもいますが、迫害による悪魔が与える苦しみを恐れることはありません。死に至るまで忠実であることを示しましょう。死んだあと悪魔は何もできないのです。神は聖徒を必ず復活させてくださり、その後、新天新地で神と共に至福の時を永遠に過ごすことになります。そこが私たちが望んでいる世界です。その永遠の世界に神は招待してくださっています。イエスが導いてくださるところはその至福の世界です。そこへ行けば神が愛であることを本当に知ることになります。今も来たるべき世界が来る前に神の愛を知ることが出来ます。世の宝と思われているものは、塵芥にすぎません。「 世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。 すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」(ヨハネ第一 2:15~16)