「一度救われたなら、その救いを失うことはない」という教えは真理ではありません。なぜなら、一世紀当時も離れて行った信者たちの名が聖書に記されていますし、豚は洗われても泥の中で転げまわる、犬は吐いたものにもどる、とイエスは警告されたからです。また、もしあなたがキリストを否むならキリストもあなたを否まれるからです。「最後まで忠実である者が救われる者です」とイエスが教えられたのはなぜでしょうか?むしろ、このように言うべきではありませんか。「パウロにならってイエスに対する固い信仰と深い愛を保ち、死に至るまで忠実であるならば、神はあなたを守り救われる。」と。以下にこのことを意味する聖句を示します。
「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8:35、37~39 )新改訳
パウロがこの言葉を書いたのは、パウロが持っていたイエスに対する固い信仰と深い愛をあなたにもぜひ知ってほしい、あなたにもそれらをぜひ持ち続け、最後まで神に忠実であってほしいと願うからです。「一度救われたなら、その救いを失うことはない」などの教えは、ローマ8:35、37~39の意味をを曲解しています。信仰義認、聖化、栄化などの間違った教理が原因かと思われます。成長させてくださるのは確かに神です。しかし真理の霊と偽りの霊とを見分ける必要があります。自分が倒れることがないように気をつけなさい。これが聖書の教えです。聖書に書かれていることと違うことを誰かが教えるなら、その人はだれであっても偽教師です。