フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

人間はこの世に悪を行ない地獄へ行くために生まれてきた

呪われた世界にようこそ。自分のために互いに人を傷つけ、殺し合うためにわたしたちは生まれてきた。あなたは違うかもしれないが、この世界は悪魔が支配している。何でもありの世界だ。人類の悪の歴史をみても、自分の生き方をみても、程度の違いがあっても、このことに同意されることと思う。もちろん巨悪はわずかですが、たとえ小さなことであっても、これらすべてを罪といいます。しかし、それではどうすればよいかと考えた人たちがいた。そういう人たちは、さまざまな哲学や宗教の門をたたく。最後にキリスト信仰にたどりついた人たちは幸いな者だ。それでも、呪われたものたちよ、私から離れ去れとイエスから言われる自称クリスチャンたちがいる。羊とヤギの分かれ目はもっとも小さな者に愛を示したかどうかで裁かれる。愛は多くの罪を覆う。憐れみは裁きに勝利する。愛をもっていれば、その人は主イエスとつながっている。イエスの弟子であることが、誰の目にも明らかとなる。聖書に明確に書かれている肉の業がある。パウロはその肉の業を殺すならあなた方は生きると言った。聖書に明確に書かれていないものであれば、人間がたとえ罪と考えても、神は罪とは、みなさないと思われる。信仰によらないものはすべて罪であるとパウロは言った。罪を犯さないように気をつけるべきだ。しかし、たとえ罪を犯しても、わたしたちにはイエス様がおられる。罪は避けるべきだが、それより、もっと重要なことは、御霊によって生き、霊の実を結べているかどうかを自分に問うべきだ。多くの実を結び続けること。愛を身につけること。それが、キリストと結びついている証拠になる。キリストと結びついていることが、罪に定められない唯一の条件だ。キリストの十字架に対する信仰がなければアウト。そして救ってくださる父なる神と子羊を愛し、こころの中で賛美、崇拝しなければアウト。お二方は、わたしたちクリスチャンの生きる唯一の目的、希望だからだ。