フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

イエスの弟子たちへの質問

マタイ16章(口語訳)
13.イエスがピリポ・カイザイリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねられて言われた「人々は人の子を誰と言っているか」。
ここで、イエスはご自分のことを「人の子」と言っています。次いで弟子たちがその質問に対し、
14.彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エイリヤと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。
と答えました。イエスは再度弟子たちに質問します。
15.そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
次にある弟子がその質問に答えます。
16.シモン・ペテロが答えて言った。「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
17.すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。以下略
エスはご自分についてペテロが言った「あなたこそ、生ける神の子キリストです」という答えが、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。と証されました。
それはイエスが「神の子キリスト」であって「父なる唯一まことの神」ではないことをはっきりさせました。
新改訳聖書ヨハネ20章28節でトマスがイエスのことを「私の主。私の神。」と言ったときにイエスはそれを否定されませんでした。イエスに対して弟子たちがひれ伏したり、(マタイ28.17)してもそうすることをやめさせませんでした。しかし黙示録19.10でヨハネが天使に拝もうとしてひれ伏したときは、天使はやめるようにヨハネに言いました。ただ、ダニエル書2.46ではネブカドネツァルがダニエルを拝したことが書かれています。この時は、ダニエルはこのことを拒否しませんでした。このケースではネブカドネツァルはダニエルをとおしてダニエルの神に対して伏し拝んだことが分かります。
父なる神と主イエスは同じ方ではなくても、一体です。父なる神の中にイエスがおり、イエスの中に父なる神がおられるからです。学者たちのようにギリシャ語から調べたりしなくても、素直に先入観なしに聖書を読んでみることです。私自身は聖書を比較検討するために、新共同訳、口語訳、新改訳、バルバロ訳、フランシスコ会訳、KJV訳、NASB訳、等を使います。ネットでギリシャ語、ヘブライ語をたまに英語訳と見比べることもありますが、参考にしているだけです。イエスが神であるかどうかですが、御使いではないので、「神の子」であるため「神の子」は「神」だと思います。「神の使いたちはみな、彼を伏し拝め」ヘブライ1章6節(フランシスコ会訳)と父なる神が天使たちに仰せになったからです。