フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

フツーではうまくいかない なぜか?

人の行うことは、何にせよ、時間が経過すると共に色褪せていく。忘れ去られていく。まさに諸行無常の人生を今生きているわけです。聖書の伝道者の言葉で、1章1節から3節にこう書いてあります。空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが、人に何の益になろう。これはエルサレムの王、ソロモンの言葉です。神から離れての人生には、空しさしかない。彼は、神の僕でしたが、王様でしたので、普通の人が出来ない人生を自分の望むままに手に入れることが出来ました。その結果振り返ってみるとすべてが、風を追うようなもので、財産、知恵、名声、快楽などすべてが空しいことを、悟りました。知恵を働かせつつ、冷静に愚なる行為を観察した王様です。まさにわたしたちが、一生懸命手に入れようとしたものを手に入れた王様の言葉です。聖書の伝道の書を読んでみると、確かに人生の目標として何かに向かって一生懸命生きている時には忙しすぎて、振り返る余裕はありませんが、目標を達成してしまったら、人は、また何か新しい目標を立てて生きていくことの繰り返しになります。そしていつの間にか年を重ね、昔は若かったが今は年老いたということになるわけです。結論はまことの神を恐れ、そのおきてに従うこと、それが、人の務めのすべてであるというものです。なぜなら、神は善であれ悪であれ、すべての隠されたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。と結ばれています。

聖書から得られた「救い」について まとめてみました

救いに共に召された愛する兄弟たちへ

1救いとは、闇の業から光の中へ招き入れられることです(ヨハネ8.12)。

2自分の努力は無力です(ローマ7.18)。

3主イエスを信じて頼ることで、(使徒16.31)父なる神が、主イエス・キリストを通して与えてくださる「聖霊」の助けによって、(ルカ11.13)

4永遠の命が与えられます(ローマ6.22~23)。

5神の霊が、肉と罪の支配から救ってくださり、霊の支配下に入ることができます(ローマ8.9~10)。

6この神の霊、キリストの霊が義に生きるよう私たちを助け、導いてくださいます(テモテ第二2.11)。

7決して一人ではありません(詩篇37.28)。

8父なる神の愛(ヨハネ第一4.8)と主イエス・キリストの恵みと真理(ヨハネ1.17)と、聖霊の交わり(コリント第二13.13)があなたがたと共ににありますように。

9神は私たちをキリストと共に罪に関して死に、義において、生かしてくださいました(ガラテア2.20)。

10御子に信仰を働かせる者は永遠の命を持っており、(ヨハネ6.47)私たちは父なる神と主イエス・キリストに対する愛と信仰を心の中に、「キリストの霊」と共に持っています。

11この愛に加えて隣人を自分自身のように愛し(マタイ7.12)、仲間の兄弟たちを愛し(ヨハネ15.17)、すべての人に対して平和を求めます(ローマ12.18)。

12愛する兄弟たち、これらのことをずっと続けていきなさい。アーメン

悪魔に魂を売った者たち

過激なタイトルです。人に迷惑をかける人が一人いるせいで大勢の人が、その人のために迷惑するケースって非常に多いと思いませんか?自爆テロなんかが一つ上げられると思います。一言でいえば「愛の欠如」によって、引き起こされる小から大に至るすべての事件。悪人に自覚は無いでしょうが、何故と普通の人は理由を知りたがりますが、「悪魔に魂を売った者たち」だからと理解すれば、分かりやすいですね。悪魔なんていないとか、そういうことを言いたいのではないのです。悪人は常人には理解できない者たちです。「何故あんな嘘をついて、人からお金を騙し取るのだろうだとか、なんであんな残虐なことが出来るのだろうか」と思うようなことを平気でやる人間のことです。普通の人には出来ないことです。悪人に自覚は無くても、やはり、そのままでは済まされないでしょう。司法で裁かれないからといっても、はやり報復はあるように思われます。勿論、名ばかりの法治国家で国が裁かないからと言って、個人で復讐してはいけません。個人でやら無くても、悪魔に利用された人間の最期は、その人間を使い終わった後、ひょっとして悪魔自身が最後の仕上げとして悪人を八つ裂きにするのではないかと考えています。いつ、どのように、やるかなどは、勿論わかりませんが。分かりやすく言えば、自業自得ということです。悪人がいつもお咎めなしで大手を振って生きていき、被害者がいつも泣き寝入りなんて、そんな世の中、早く終わりにしたいものですね。

善人に変容した人間を悪人だと見破る方法

「人間は物事を自分の都合の良いように考える」という法則があります。
そこで、相手が誰であっても、その人の話を聞いて、何かおかしい「何故~なんだ?」とか「何故このタイミングで?」とか少しでも「何故?」と思ったら、相手に理由を尋ねるこのなく(何故の理由などどうでもいいので)、その段階で「その人は嘘を言っている」とか「その人は詐欺師だ」と決めつけておくと良いでしょう。学問の場合と違うのです。何故に対する答えよりも「何故?」と思ったことが大切です。この時点で終わらせるのです。電話勧誘なら電話を切るのです。目の前にいるのなら席を立って話を終わらせるのです。何故に対する答えは、冒頭に書いたように、人間は物事を自分の都合のいいように自動的に考えてしまうからです。もしそうなったら、もう嘘を見破ることはできないでしょう。理由などいくらでも嘘をつくことができます。相手の話を信じてしまっている時点でもう既に相手の術中にはまっています。相手は自分自身を善人に変容させているわけですから。「何故、人にプレゼントするのか?」「何故、こちらが得する話を持ちかけてくるのか?」家族でもない赤の他人が良い話を持ってくる事は1000%ありません。家族であっても危険な場合があることは最近のニュースを見ても分かります。ポイントは「何故?」と思うことです。そして、「都合よく考えず、相手に理由を聞くことなく即、拒絶すること」です。相手に何か言われても拒絶しておけばまず間違いないと思います。世の中、騙される人が大勢いますが、この方法で善人面した悪人を退けることが出来るでしょう。

正義の味方

久しぶりにブログに書きます。世の中、本当に大勢の悪人たちがいて、人の大切なお金を騙し取って平気で大手を振って生きている者たちがいます。オレオレ詐欺も自己責任で原野商法に引っかかった人たちも自己責任でと警察も弁護士も裁判所も生活消費センターもその他の役所、銀行も皆、役に立ちません。この世に愛も正義も無いと感じておられる人たちは大勢いると思われます。やはり、違法な犯罪に巻き込まれないよう最注意が必要です。引っかかった人たちは馬鹿なのではなく、詐欺師たちの外見、巧みな話しぶりを見聞きして信じこまされてしまうのでしょう。怪しいなんて夢にも思わせない正義面した騙しの名人たちです。知能犯なので、あなたが、騙されなかったのは彼らにまだ遭遇していなかっただけ、ただ、ラッキーだっただけなのかも知れません。何か問題に巻き込まれて、先ほど上げた諸機関に相談に行ったとしても何の役にも立たないことをここに記載しておきます。悪人たちのやりたい放題のこの状態をどう見ますか。今のところ自分の身は自分で守るくらいしか無いのかも知れません。
悪人のレベルも軽犯罪から殺人までありますので、詐欺師なんて強盗殺人に会わなかっただけましと考えることもできます。物騒な世の中です。誰でもいいから、最初に会った人間を襲うと考えている人間ともし出会ったとしたらと考えると他人事ではありません。正義の味方はいません。テレビや映画の中に出てくる架空のヒーローです。注意喚起などするまでもないのかも知れませんがブログに書いておきました。暗い話で申し訳ありませんでした。被害に会われた大勢の方たちに必要なのは、現在の生活を立て直していくための、精神的、体力的、経済的援助です。そのすべての原動力は未来に目を向けることから始まります。明るい未来を信じることで、人は行動に移していけます。希望をどう持つかです。宗教の話は今までしたことはありませんが、「義人は信仰によって生きる」という言葉があります。まだ見ぬ明るい未来を信じることで、人は、生き生きと生きていける生き物だと思います。それでは、この辺で失礼いたします。

同じ穴の狢

ネット業界が危険なため、ブログに簡単に記しておきます。リアルビジネスの場合は、店舗がきちんとあり、大抵お金を払った分の仕事をしてくれます。勿論詐欺業者もいるため、注意が必要です。しかし、ネット業者、特にお金を稼がせる系の業者の99%の情報商材やスキルは稼ぐことは出来ません。そして彼らはお互いに横でつながっていてお互いを紹介し合っているお仲間のようです。高額塾に入るために支払った30万円前後のお金は二度と回収できません。嘘が多い世界です。全員がブラックといえるでしょう。億単位で稼いでいる20代~30代前半の彼らは、会社を立ち上げて組織化している者たちで、主に高額塾で稼いできたいきさつがあります。ネット業界はほとんど無法地帯といえるでしょう。彼らを取り締まる法整備が出来ていないからです。そのことを勿論彼らは知ってやっているのです。手を出そうとしている人は、もういい加減気づきましょう。大切な汗水たらして稼いだお金を彼らに差し上げるのはやめ、大切な人のために使いましょう。

自分を捨て愛に生きること

ここ最近の近隣諸国の危険な状況と国際情勢の緊張、20世紀初頭に始まった自然環境の破壊、そして日本や世界の経済情勢の悪化など、どれをみても、みな、人間が引き起こしているものですね。世の中を住み辛くしているのは、人間が愛を捨て、自分本位に生きているためという結論に達しました。住み辛い環境を人間が自ら作り出しているということです。人が生きていくということは本当に大変な時代になってきました。動物たちは地球環境を破滅させることはできませんが、人間にはそれが出来、そのつけを払いつつあるということでしょうか。もし、人間には表題にあるような、生き方が難しいのであれば、地球の未来は多分お隣の星である火星のような荒涼とした岩の塊のような惑星になるかも知れませんね。たとえば200年後の地球の未来の姿です。そうはならないことを願うばかりですが、火星のように生き物がいない世界では、当然、政治的、宗教的分裂もなく、戦争もなく静かな平和が永遠に続いていくことでしょう。