フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

この世界に愛はあるのか?

人は愛を夢見る。そして世界中を探し続け、ついに、この世界には愛がないと分かる時が来る。それからはもう、愛を夢見ることが出来なくなる。そして自分の中の愛がいつのまにか消えてしまい、自らが存在しなくなる方がいいと思うようになる。愛のために努力しても何もない。人はただ夏の終わりの朝露のように、太陽が登れば消えてゆく。人は疲れて目を閉じ、いつか地の下へ下る。誰もがみな同じ運命を辿る。それ以外に何かあるのか?何もない。

 

もし、神がいなければ、人生に意味はない。神は長い間沈黙され、まるで存在しないかのように思える。しかし、神のみこころにかなう限り、神は信者の願いを聞いてくださる。神の存在は、人間の脳の存在によって証明されています。脳がなぜ存在するのか?脳が複雑なことは分かっていますね。人間が作れないものを自然が作ったのか?自然は人間よりも賢いのか?人間の作るコンピューターも自然は作れるのか?ついでに言えば、宇宙人はいない。臨死体験で天国で出会う親族も本物ではない。死者のよみがえりは永遠の命の体を持つ第一の復活と、永遠の命を待たない白い御座での第二の復活の2つだからです。両方ともまだ起こっていません。死者はハデスで眠っています。では、あれらは何か?両方とも悪魔と悪霊によるサイキックパワーと「なりすまし」によるものです。将来、666が現れた時にこの力が使われる。出来れば、選ばれた者たちをも騙そうとサタンが天から火を降らせたり、偶像がしゃべるということもするようです。イエスさまは事前にこのことを警告された。ここでも警告します。

 

神はこの世界を火のために留め置かれている。信者は新しい天と新しい地を待ち望む。この世界には愛はないが、新天新地にはある。なぜ分かるか?聖書に書いてあるからだ。誰もが行けるといいと思います。神のみこころに従う限り、誰もが行ける。しかし、神に背を向けている者は残念ながら、滅びるしかない。救いは、たとえ今、神が助けて下さらなくても、「神は助けてくださることができる」と信じること。神のために生き死ねること。実際、神の助けが無く、神が沈黙されたとしても、断固、神に従うことです。これが出来ればあなたは救われる。アーメン。