フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

罪をやめる覚悟と信仰

26 もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。

27
ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。

 

(ヘブル10:26~27)

 

たくさんの罪を犯してきたわたしたち人間は、その罪がたとえアダムから引き継いだものとは言え、神に「救ってください」などとは、本来言えたものではないのです。神がアダムに言われたように、罪の報いは死ですから、死ぬしかありません。永遠の命を持たぬ者が地獄へ行ってもキリスト教世界で信じられているように、地獄で永遠に苦しむことはありません。しかし、神から永遠に切断されるのです。これは、まさに地獄です。イエスさまはこのことを表現されました。御霊を持たぬ指導者の地獄で永遠に苦しむという解釈は間違っています。牧師でも地獄では「生きている魂」が永遠に苦痛を受けると信じています。それが怖くて、信じている人たちもいます。第一の復活を受ける人たちは、幸いな者です。この人たちは、永遠の命を持っているからです。さて、ここで言いたいことは、次のことです。本来、救ってくださいなどとは言えない人間は、きちんと自覚しなければなりません。ことさらに罪を犯し続ける人は、まだ赦されていないということを。イエスが十字架で死なれ、復活されたのは、信者が罪を犯さなくなるためです。罪をやめるためには、神の憐れみと信者の真理に対する正しい理解と覚悟、そして信仰が必要です。「罪をやめなければならないということはわかっている。しかしやめられない」という状態が今の信者たちの現状です。ここで、「仕方がない」と考える人たちと「やめる」と考える人たちがいます。罪をやめるのは、前者の人たちには不可能ですが、後者の人たちには可能です。人間には不可能であっても神にとってはすべてのことが可能だからです。アーメン。