フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

私たちは罪に勝利できる

6 そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。

7
あなたは正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」

(創世記4:6~7)

 

上記聖句で神はカインに「罪を治めるべきである。」と警告してます。神はそのために、特別に聖霊の助けを与えたわけではありませんでした。つまり、カインは罪を自分の力で治めるべきでしたが、それが出来ずにアベルを殺しました。カインは自分のものではないもの、すなわちアベルの命を自分のものと思っていたのでしょう。だから殺した。つまり罪は、すべて、自分のものでないものを自分のもののように考えたことから始まりました。わたしは、この法則を聖書から発見しました。以前にお話しした、悪魔が自分のものではない、「神になる」と考えたこと、アダムが神のものである「善悪の知識の実」を食べたこと、ちなみにこの善悪の知識の実は善悪を決めるのは人間ではなく神にあるため、永遠に人間は食べることは許されていなかったものです。洪水前の天使が地上の美しい女たちと結婚し悪霊となったこと、これも本来あるべき場所からこの悪霊たちは任務を勝手に離れて自分のものではないものを手に入れようとして神に反逆しましたが、現在彼らは、他の悪霊たちとは違い、底知れぬ深みに閉じ込められています。ちなみに他の悪霊たちと悪魔は現在も、まだ自由に活動しています。ダビデとバテシバの件もそうでした。自分のものではないもの「人妻」をダビデは手に入れようとしました。さて、以下の聖句でパウロは「肉に従って生きるのなら、あなたがたは死ぬのです。」と述べています。この聖句によれば、ほとんどの信者が死ぬでしょう。彼らは、できないという経験からあきらめたからです。イエスさまが死んでくださったのだから、もういいやと。だから死ぬのです。私が決めたのではありません。神の言葉が裁くのです。そこでこの状態から逃れる方法を以前、お話しました。おさらいです。思いを作り直すのは、人間がやらなければなりません。神はこの点に関して手を出すことはしません。それは、神にも出来ないのです。多くのクリスチャンは御霊がそのようにしてくれると信じていますが、順番が違います。自分で作り直さないで、誰が作り直すのですか?神ですか?違います。思い違いをしてはけません。人間が作り直すのです。そうした後、御霊が来ます。どうしてかわかりますか?

もし、人間が自分でこの問題を克服しなければ、いくら御霊が来ても人間は罪を繰り返すからです。この説明に納得しましたか?だから、神は努力をしない人間を助けません。カインのケースと同じで、自分で思いを作り直すことが先決なのです。これが出来ないと泣き事を言う(多くの信者が言います)のではなく、よく考えることです。たとえ1000回、努力して出来なかったとしてもです。修道院でもできた人はいなかったようですね。ですから、どういう考え方をすればいいのかを、みなさんの救いのために、お話しているのです。

自分のものではないものは、手に入らないと悟ることです。肉の業は、悪魔のものです。だから、手に入らないと悟るのです。神はイエスの十字架でのあがないで、罪を取り除いてくださいました。それは、信者が罪を犯さなくなるためだと、聖書に書いてあります。

従って罪は、神によって取り除かれたため、もはや自分のものではないのです。罪を行う必要はないのです。神はイエス様を与えてくださいました。だから、与えられた主イエスを感謝して受け取り自分のものとして大切にすればよいのです。罪の問題をクリアできた人には、御霊が来ます。喜びと平安と本物の救いが与えられます。難しい話をしていますか?神のこころと一致できた人は、一日中神のことを考えているのです。神のこころと一致させるとは、神の言葉と自分を一致させることです。そうすれば、御霊がその人に真の自由を与えるのです。思いを「自分で」作り直してから、神に変えていただきましょう。肉に従って生きている人は誰ですか?あなたがかつて自分で作った強力な妄想が原因です。その妄想はあなたが考えたもの。あなたが作ったのだから、あなたはそれを健全なものに作り直すことができます。それが、できたなら、次はあなたが願っている聖霊バプテスマが与えられるでしょう。神の国へのパスポートです。聖なる者しか、神の王国のイエス様に会うことは出来ません。つまり、罪を犯し続ける人は、入れません。よく言われている、「信じるだけで、救われた。」という説教をもっと正確にいえば、水と霊とによって新しく生まれた者が救われた者です。アーメン。

 

参照聖句

 

13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

14
神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。

(ローマ8:13~4)


36
ですから、もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。(ヨハネ8:36)

 

14 というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。(ローマ6:14)

 

1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。(ヨハネ第一2:1)

 

57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。(コリント第一15:57)

 


12
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

(ヘブル4:12)