信仰は業によって証明される。信じていると口先で言っても業が伴わなければ信じているとは言えません。信じているなら業が必ず伴います。信じている?それを証明するように。今の教会の教えは偽善である。真のクリスチャンは自分を十字架につけています。なぜか?神の嫌がることをせず、神が喜ばれることをしたいためです。そのために自分を十字架につけるのです。イエスに従いたいためです。それゆえキリストの霊を持つ。もし、御霊がなければ、これは失敗します。つまり十字架に自分をつけることをしないか、つけられないはずです。しかし今、これが出来なくても学ぶことをやめてはなりません。神が成長させてくださればあなたが願うことを御霊によって出来るようになるからです。アーメン。