フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

獣よ。すべての家畜よ。はうものよ。翼のある鳥よ。主を賛美せよ。

1 ハレルヤ。天においても主をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。

2
主をほめたたえよ。すべての御使いよ。主をほめたたえよ。主の万軍よ。

3
主をほめたたえよ。日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。

4
主をほめたたえよ。天の天よ。天の上にある水よ。

5
彼らに主の名をほめたたえさせよ。主が命じて、彼らが造られた。

6
主は彼らを、世々限りなく立てられた。主は過ぎ去ることのない定めを置かれた。

7
地において主をほめたたえよ。海の巨獣よ。すべての淵よ。

8
火よ。雹よ。雪よ。煙よ。みことばを行うあらしよ。

9
山々よ。すべての丘よ。実のなる木よ。すべての杉よ。

10
獣よ。すべての家畜よ。はうものよ。翼のある鳥よ。

11
地の王たちよ。すべての国民よ。君主たちよ。地のすべてのさばきづかさよ。

12
若い男よ。若い女よ。年老いた者と幼い者よ。

13
彼らに主の名をほめたたえさせよ。主の御名だけがあがめられ、その威光は地と天の上にあるからだ。

14
主は、その民の角を上げられた。主のすべての聖徒たち、主の近くにいる民、イスラエルの子らの賛美を。ハレルヤ。



詩篇 148:1~14)

 

ペテロの手紙 第一 5章

1 そこで、私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じく長老のひとり、キリストの苦難の証人、また、やがて現れる栄光にあずかる者として、お勧めします。

2
あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。

3
あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。

4
そうすれば、大牧者が現れるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。

5
同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。

6
ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。

7
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

8
身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

9
堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

10
あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

11
どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。

12
私の認めている忠実な兄弟シルワノによって、私はここに簡潔に書き送り、勧めをし、これが神の真の恵みであることをあかししました。この恵みの中に、しっかりと立っていなさい。

13
バビロンにいる、あなたがたとともに選ばれた婦人がよろしくと言っています。また私の子マルコもよろしくと言っています。

14
愛の口づけをもって互いにあいさつをかわしなさい。キリストにあるあなたがたすべての者に、平安がありますように。

栄光の輝きについて

主イエスと結びついて、新しく創造された人は幸いである

 

エスの御名により、魂の救いを得るからである

 

栄光の神がヤコブ(霊的イスラエル)と共にいてくださる

 

すべての災いは過ぎ去り、彼らは幸いな者と呼ばれる

 

ダチョウやジャッカル、若獅子なども喜び歌い、

 

草木、山や川も手をたたき、栄光の神をほめたたえる

 

地上にいるすべての被造物の願いはついにかなえられ、

 

彼らの喜びは全地に満ちる

 

アーメン

 

ペテロの手紙 第一 4章

1 このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。

2
こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。

3
あなたがたは、異邦人たちがしたいと思っていることを行い、好色、情欲、酔酒、遊興、宴会騒ぎ、忌むべき偶像礼拝などにふけったものですが、それは過ぎ去った時で、もう十分です。

4
彼らは、あなたがたが自分たちといっしょに度を過ごした放蕩に走らないので不思議に思い、また悪口を言います。

5
彼らは、生きている人々をも死んだ人々をも、すぐにもさばこうとしている方に対し、申し開きをしなければなりません。

6
というのは、死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのですが、それはその人々が肉体においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神によって生きるためでした。

7
万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。

8
何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。

9
つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。

10
それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。

11
語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。

12
愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、

13
むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。

14
もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。

15
あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、悪を行う者、みだりに他人に干渉する者として苦しみを受けるようなことがあってはなりません。

16
しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。

17
なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。

18
義人ががろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。

19
ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行うにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。

救われた人で良い実を結ばない人がいるだろうか?

1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。

2
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。

3
あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。

4
わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。

5
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

6
だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せて集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

7
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

8
あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。

 

ヨハネ15:1~8)

 

エスさまと良い関係があるなら、その人は良い実を結びます。

 

なぜなのか?考えてみてください。

 

もし、分からない人のためにお話ししますね。主イエスと結びついているなら、御霊の力を受けるからです。それは、上からの力です。

 

その力は、神からのものであって、誰も抗うことはできません。

 

そのため、悪い実を結ぶことができないのです。

 

そこで、はっきり、分かることは、もし、良い実をつけていない人がいれば、その人は、キリストと何の関係もないということです。

 

その人は、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せて集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

 

「主よ、主よ。」と呼ぶ人たちは、神のみこころ(良い実を結ぶこと)を行わなかったという理由で、将来イエスさまから、あなたがたを知らないと言われてしまうのです。

 

人は、「良い実か悪い実」のいずれかの実を結ぶのです。

 

「主よ、主よ。」と呼ぶ人たちは、自分たちは、良い実を結んだと考えているようです。

 

しかし、御霊によらない業(実)は肉の業であって、たとえ、イエスの名を使って、さまざま奇跡をおこなったとしても、それは、神からのものではなかったのです。はっきり言えば、心霊術、魔術のだぐいです。聖書では、それらは、肉の業に分類されています。使徒パウロは、手紙の中で「肉の働きを殺すなら、あなたがたは生きる。」と語っています。

 

もし、あなたが聖霊をもっているなら、この話の意味がわかります。

 

 

アーメン

 

 

ペテロの手紙 第一 3章

1 同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。

2
それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。

3
あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、

4
むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。

5
むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。

6
たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行えば、サラの子となるのです。

7
同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。

8
最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。

9
悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。

10
「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、

11
悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。

12
主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう。」

13
もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。

14
いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。

15
むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。

16
ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。

17
もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。

18
キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。

19
その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、みことばを語られたのです。

20
昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟で、水を通って救われたのです。

21
そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。

22
キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。

「罪からの解放」について質問されたら困ること

どうしたら、わたしも罪から解放されるのですか?という質問です。もっともこういう質問をする「積極的な人」自体がいないのです。

 

この世界が創造される前から選ばれていたからというのがその答え。神の予知に従い、神の憐みと慈しみと大いなる恵みによって神に選ばれていたからです。

 

聖句をたくさん知っていて、御霊の存在を知り「罪からの解放」を話しているその人が、解放されているとは、わたしは信じない。

 

理由は、一世紀当時の信者と現代の信者は全然違うから。現代人は甘すぎる。

 

命を賭けていない。神はふさわしい者を選ばれる。だから、話しが上手で、賛美歌を上手に歌い、世界を飛び回っている宣教師でも、無理です。拷問に勝った人でも、性的罪には弱いことをあなたは知っていましたか?

 

わたしの話を聞いて一人くらいは、罪からの解放者がオコサレルと思っていたのですが。

 

肉のはたらきを殺すのがそんなに難しいですか?

 

実は、みことばにしたがうことは、聖書に書いてあるとおり、簡単なのです。

 

神の愛だけが、罪からあなたを遠ざけることができます。それと、人間の妄想についての理解が必要です。次に、生理的欲求が最後の難関です。しかし、悪を御使いたちに見られているということを知っていて、なおも罪を犯せるのでしょうか?

 

ですから、主イエスと結びつくことで罪と戦うことはなくなったのです。罪の原理をすっかり学習して訓練が終わり、命をもたらす御霊を受けて、新しく創造されたからです。イエスさまと一つだからです。

 

自称クリスチャンの人たちはプライドが高く、感謝もしないから、多分いつまでたっても、分からないだろうと思います。霊から生まれた者は霊であり、肉から生まれた者は肉だからです。わたしにはそう言う人たちを変えることはできません。ただ、伝えるだけです。

 

しかし、ここで、何か希望を書かないといけない。まず、イエスさまをいつも心に留める。そして、神の愛を知り、罪を遠ざける。そして、神から与えられた霊によって、主イエスに従って歩め!です。

 

 

アーメン