フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。

18 天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上た方、すなわちこれを堅く立てた方、これを茫漠としたものに創造せず、人の住みかにこれを形造った方、まことに、この主がこう仰せられる。「わたしが主である。ほかにはいない。

19
わたしは隠れた所、やみの地の場所で語らなかった。荒地で、ヤコブの子らにわたしを尋ね求めよと言わなかった。わたしは主、正義を語り、公正を告げる者。

20
諸国からの逃亡者たちよ。集まって来て、共に近づけ。木の偶像をになう者、救えもしない神に祈る者らは、何も知らない。

21
告げよ。証拠を出せ。共に相談せよ。だれが、これを昔から聞かせ、以前からこれを告げたのか。わたし、主ではなかったか。わたしのほかに神はいない。正義の神、救い主、わたしをおいてはほかにはいない。

22
地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。

 

(イザヤ45:18~22)

 

 

神のみこころはあなたがたを滅ぼすことではなく、キリストのものとなって永遠の命を受けることです。ただし、神を信じない者たちは自分の罪を愛して、悪からどうしても離れない。そのため、滅びることになる。こういう人たちは不信仰で邪悪な者と神はご覧になる。神は感謝しない邪悪な者にも親切であられる。しかし、神は愛であると同時に義でもある方。そのため、神の怒りが悔い改めない者たちの頭上にある。そんな者たちに対しても神は、救われよと言われ続けている。神は全知全能であっても、奇跡で邪悪な者たちを義人に変化させることは決してされない。つまり、こういうことです。救いと滅びはそれぞれ、運命で決まっているのではなく、邪悪な者たちが悔い改めて悪をやめ、善を行うようになればいいのです。悪を行う者たちは、共通して神に対する恐れが欠けている。だから義人たちを救った後に、王であるイエスが巨万の軍をひきつれて不法を行う者(罪人と悪者たち)を滅ぼしに来る前に、神を知らない者たちは、神を見い出し、神を大いに畏れ、今、神にひれ伏して罪をやめればいいのです。あなたは神を愛し、罪を制することが出来るだろうか?アーメン。