フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

コリント人への手紙 第一 11章

1 私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。

2
さて、あなたがたは、何かにつけて私を覚え、また、私があなたがに伝えたものを、伝えられたとおりに堅く守っているので、私はあなたがたをほめたいと思います。

3
しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。

4
男が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていたら、自分の頭をはずかしめることになります。

5
しかし、女が、祈りや預言をするときに、頭にかぶり物を着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることになります。それは髪をそっているのと全く同じことだからです。

6
女がかぶり物を着けないのなら、髪も切ってしまいなさい。髪を切り、頭をそることが女として恥ずかしいことなら、かぶり物を着けなさい。

7
男はかぶり物を着けるべきではありません。男は神の似姿であり、神の栄光の現われだからです。女は男の栄光の現われです。

8
なぜなら、男は女をもとにして造られたのではなくて、女が男をもとにして造られたのであり、

9
また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。

10
ですから、女は頭に権威のしるしをかぶるべきです。それも御使いたちのためです。

11
とはいえ、主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。

12
女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。

13
あなたがたは自分自身で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのは、ふさわしいことでしょうか。

14
自然自体が、あなたがたにこう教えていないでしょうか。男が長い髪をしていたら、それは男として恥ずかしいことであり、

15
女が長い髪をしていたら、それは女の栄光であるということです。なぜなら、髪はかぶり物として女に与えられているからです。

16
たとい、このことに異議を唱えたがる人がいても、私たちにはそのような習慣はないし、神の諸教会にもありません。

17
ところで、聞いていただくことがあります。私はあなたがたをほめません。あなたがたの集まりが益にならないで、かえって害になっているからです。

18
まず第一に、あなたがたが教会の集まりをするとき、あなたがたの間には分裂があると聞いています。ある程度は、それを信じます。

19
というのは、あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないからです。

20
しかし、そういうわけで、あなたがたはいっしょに集まっても、それは主の晩餐を食べるためではありません。

21
食事のとき、めいめい我先にと自分の食事を済ませるので、空腹な者もおれば、酔っている者もいるというしまつです。

22
飲食のためなら、自分の家があるでしょう。それとも、あなたがたは、神の教会を軽んじ、貧しい人たちをはずかしめたいのですか。私はあなたがたに何と言ったらよいでしょう。ほめるべきでしょうか。このことに関しては、ほめるわけにはいきません。

23
私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、

24
感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」

25
夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」

26
ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。

27
したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。

28
ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。

29
みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。

30
そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます。

31
しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。

32
しかし、私たちがさばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、それは、私たちが、この世とともに罪に定められることのないためです。

33
ですから、兄弟たち。食事に集まるときは、互いに待ち合わせなさい。

34
空腹な人は家で食べなさい。それは、あなたがたが集まることによって、さばきを受けることにならないためです。その他のことについては、私が行ったときに決めましょう。

 

コリント人への手紙 第一 10章

1 そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの父祖たちはみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。

2
そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、

3
みな同じ御霊の食べ物を食べ、

4
みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。

5
にもかかわらず、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。

6
これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。それは、彼らがむさぼったように私たちが悪をむさぼることのないためです。

7
あなたがたは、彼らの中にある人たちにならって、偶像崇拝者となってはいけません。聖書には、「民が、すわっては飲み食いし、立っては踊った」と書いてあります。

8
また、私たちは彼らのある人たちが姦淫をしたのにならって姦淫をすることはないようにしましょう。彼らは姦淫のゆえに一日に二万三千人死にました。

9
私たちは、さらに、彼らの中のある人たちが主を試みたのにならって主を試みることはないようにしましょう。彼らは蛇に滅ぼされました。

10
また、彼らの中のある人たちがつぶやいたのにならってつぶやいてはいけません。彼らは滅ぼす者に滅ぼされました。

11
これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。

12
ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。

13
あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

14
ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。

15
私は賢い人たちに話すように話します。ですから私の言うことを判断してください。

16
私たちが祝福する杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。

17
パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです。

18
肉によるイスラエルのことを考えてみなさい。供え物を食べる者は、祭壇にあずかるではありませんか。

19
私は何を言おうとしているのでしょう。偶像の神にささげた肉に、何か意味があるとか、偶像の神に真実な意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。

20
いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。

21
あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことは、できないことです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。

22
それとも、私たちは主のねたみを引き起こそうとするのですか。まさか、私たちが主よりも強いことはないでしょう。

23
すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとは限りません。

24
だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。

25
市場に売っている肉は、良心の問題として調べ上げることはしないで、どれでも食べなさい。

26
地とそれに満ちているものは、主のものだからです。

27
もし、あなたがたが信仰のない者に招待されて、行きたいと思うときは、良心の問題として調べ上げることはしないで、自分の前に置かれる物はどれでも食べなさい。

28
しかし、もしだれかが、「これは偶像にささげた肉です」とあなたがたに言うなら、そう知らせた人のために、また良心のために、食べてはいけません。

29
私が良心と言うのは、あなたの良心ではなく、ほかの人の良心です。私の自由が、他の人の良心によってさばかれるわけがあるでしょうか。

30
もし、私が神に感謝をささげて食べるなら、私が感謝する物のために、そしられるわけがあるでしょうか。

31
こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。

32
ユダヤ人にも、ギリシヤ人にも、神の教会にも、つまずきを与えないようにしなさい。

33
私も、人々が救われるために、自分の利益を求めず、多くの人の利益を求め、どんなことでも、みなの人を喜ばせているのですから。

コリント人への手紙 第一 8章~9章

1 次に、偶像にささげた肉についてですが、私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。

2
人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。

3
しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。

4
そういうわけで、偶像にささげた肉を食べることについてですが、私たちは、世の偶像の神は実際にはないものであること、また、唯一の神以外には神は存在しないことを知っています。

5
なるほど、多くの神や、多くの主があるので、神々と呼ばれるものならば、天にも地にもありますが、

6
私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。

7
しかし、すべての人にこの知識があるのではありません。ある人たちは、今まで偶像になじんで来たため偶像にささげた肉として食べ、それで彼らのそのように弱い良心が汚れるのです。

8
しかし、私たちを神に近づけるのは食物ではありません。食べなくても損にはならないし、食べても益にはなりません。

9
ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人のつまずきとならないように、気をつけなさい。

10
知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのをだれかが見たら、それによって力を得て、その人の良心は弱いのに、偶像の神にささげた肉をたべるようなことにならないでしょうか。

11
その弱い人は、あなたの知識によって、滅びることになるのです。キリストはその兄弟のためにも死んでくださったのです。

12
あなたがたはこのように兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を踏みにじるとき、キリストに対して罪を犯しているのです。

13
ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉をたべません。それは、

 

私の兄弟につまずきを与えないためです。

 

 

 

コリント人への手紙 第一 9章


1
私には自由がないでしょうか。私は使徒ではないのでしょうか。私は私たちの主イエスを見たのではないでしょうか。あなたがたは、主にあって私の働きの実ではありませんか。

2
たとい私がほかの人々に対しては使徒でなくても、少なくともあなたがたに対しては使徒です。あなたがたは、主にあって、私が使徒であることの証印です。

3
私をさばく人たちに対して、私は次のように弁明します。

4
いったい私たちには飲み食いする権利がないのでしょうか。

5
私たちには、ほかの使徒、主の兄弟たち、ケパなどと違って、信者である妻を連れて歩く権利がないのでしょうか。

6
それともまた、私とバルナバだけには、生活のための働きをやめる権利がないのでしょうか。

7
いったい自分の費用で兵士になる者がいるでしょうか。自分でぶどう園を造りながら、その実を食べない者がいるでしょうか。羊の群れを飼いながら、その乳を飲まない者がいるでしょうか。

8
私がこんなことを言うのは、人間の考えによって言っているのでしょうか。律法も同じことを言っているではありませんか。

9
モーセの律法には、「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」と書いてあります。いったい神は、牛のことを気にかけておられるのでしょうか。

10
それとも、もっぱら私たちのために、こう言っておられるのでしょうか。むろん、私たちのためにこう書いてあるのです。なぜなら、耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分配を受ける望みを持って仕事をするのは当然だからです。

11
もし私たちが、あなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか。

12
もし、ほかの人々が、あなたがたに対する権利にあずかっているのなら、私たちはなおさらその権利を用いてよいはずではありませんか。それなのに、私たちはこの権利を用いませんでした。かえって、すべてのことについて耐え忍んでいます。それは、キリストの福音に少しの妨げも与えまいとしてなのです。

13
あなたがたは、宮に奉仕している者が宮の物を食べ、祭壇に仕える者が祭壇の物にあずかることを知らないのですか。

14
同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。

15
しかし、私はこれらの権利を一つも用いませんでした。また、私は自分がそうされたくてこのように書いているのでもありません。私は自分の誇りをだれかに奪われるよりは、死んだほうがましだからです。

16
というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいに会います。

17
もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられたにしても、私には務めがゆだねられているのです。

18
では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え、福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いないことなのです。

19
私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。

20
ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。

21
律法を持たない人々に対しては、—私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが—律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。

22
弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。

23
私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。

24
競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。

25
また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。

26
ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方をしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。

27
私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になることのないためです。

コリント人への手紙 第一 7章

1 さて、あなたがたの手紙に書いてあったことについてですが、男が女に触れないのは良いことです。

2
しかし、不品行を避けるため、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい。

3
夫は自分の妻に対して義務を果たし、同様に妻も自分の夫に対して義務を果たしなさい。

4
妻は自分のからだに関する権利を持ってはおらず、それは夫のものです。同様に夫も自分のからだについての権利を持っておらず、それは妻のものです。

5
互いの権利を奪い取ってはいけません。ただし、祈りに専念するために、合意の上でしばらく離れていて、また再びいっしょになるというのならかまいません。あなたがたが自制力を欠くとき、サタンの誘惑にかからないためです。

6
以上、私の言うところは、容認であって、命令ではありません。

7
私の願うところは、すべての人が私のようであることです。しかし、ひとりひとり神から与えられたそれぞれの賜物を持っているので、人それぞれに生き方があります。

8
次に、結婚していない男とやもめの女に言いますが、私のようにしていられるなら、それがよいのです。

9
しかし、もし自制することができなければ、結婚しなさい。情の燃えるよりは、結婚するほうがよいからです。

10
次に、すでに結婚した人々に命じます。命じるのは、私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。

11 —
もし別れたのだったら、結婚せずにいるか、それとも夫と和解するか、どちらかにしなさい—また夫は妻を離別してはいけません。

12
次に、そのほかの人々に言いますが、これを言うのは主ではなく、私です。信者の男子に信者でない妻があり、その妻がいっしょにいることを承知している場合は、離婚してはいけません。

13
また、信者でない夫を持つ女は、夫がいっしょにいることを承知している場合は、離婚してはいけません。

14
なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いのです。

15
しかし、もし信者でないほうの者が離れて行くのであれば、離れて行かせなさい。そのような場合には、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとしてあなたがたを召されたのです。

16
なぜなら、妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。

17
ただ、おのおのが、主からいただいた分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。私は、すべての教会で、このように指導しています。

18
召されたとき割礼を受けていたのなら、その跡をなくしてはいけません。また、召されたとき割礼を受けていなかったのなら、割礼を受けてはいけません。

19
割礼は取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです。

20
おのおの自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。

21
奴隷の状態で召されたのなら、それを気にしてはいけません。しかし、もし自由の身になれるなら、むしろ自由になりなさい。

22
奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。

23
あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません。

24
兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。

25
処女のことについて、私は主の命令を受けてはいませんが、主のあわれみによって信頼できる者として、意見を述べます。

26
現在の危急のときには、男はそのままの状態にとどまるのがよいと思います。

27
あなたが妻に結ばれているなら、解かれたいと考えてはいけません。妻に結ばれていないのなら、妻を得たいと思ってはいけません。

28
しかし、たといあなたが結婚したからといって、罪を犯すのではありません。たとい処女が結婚したからといって、罪を犯すのではありません。ただ、それらの人々は、その身に苦難を招くでしょう。私はあなたがたを、そのようなめに合わせたくないのです。

29
兄弟たちよ。私は次のことを言いたいのです。時は縮まっています。今からは、妻のある者は妻のない者のようにしていなさい。

30
泣く者は泣かない者のように、喜ぶ者は喜ばない者のように、買う者は所有しない者のようにしていなさい。

31
世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。

32
あなたがたが思い煩わないことを私は望んでいます。独身の男は、どうしたら主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。

33
しかし、結婚した男は、どうしたら妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、

34
心が分かれるのです。独身の女や処女は、身もたましいも聖くなるため、主のことに心を配りますが、結婚した女は、どうしたら夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります。

35
ですが、私がこう言っているのは、あなたがた自身の益のためであって、あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろあなたがたが秩序ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるためなのです。

36
もし、処女である自分の娘の婚期も過ぎようとしていて、そのままでは、娘に対しての扱い方が正しくないと思い、またやむをえないことがあるならば、その人は、その心のままにしなさい。罪を犯すわけではありません。彼らに結婚させなさい。

37
しかし、もし心のうちに堅く決意しており、ほかに強いられる事情もなく、また自分の思うとおりに行うことのできる人が、処女である自分の娘をそのままにしておくのなら、そのことはりっぱです。

38
ですから、処女である自分の娘を結婚させる人は良いことをしているのであり、また結婚させない人は、もっと良いことをしているのです。

39
妻は夫が生きている間は夫に縛られています。しかし、もし夫が死んだなら、自分の願う人と結婚する自由があります。ただ主にあってのみ、そうなのです。

40
私の意見では、もしそのままにしていられたら、そのほうがもっと幸いです。私も、神の御霊をいただいていると思います。

コリント人への手紙 第一 5章~6章

1 あなたがたの間に不品行があるということが言われています。しかもそれは、異邦人の中にもないほどの不品行で、父の妻を妻にしている者がいるとのことです。

2
それなのに、あなたがたは誇り高ぶっています。そればかりか、そのような行ないをしている者をあなたがたの中から取り除こうとして悲しむこともなかったのです。

3
私のほうでは、からだはそこにいなくても心はそこにおり、現にそこにいるのと同じように、そのような行ないをした者を主イエスの御名によってすでにさばきました。

4
あなたがたが集まったときに、私も、霊においてともにおり、私たちの主イエスの権能をもって、

5
このような者をサタンに引き渡したのです。それは彼の肉が滅ぼされるためですが、それによって彼の霊が主の日に救われるためです。

6
あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。

7
新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。

8
ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種の入らない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか。

9
私は前にあなたがたに送った手紙で、不品行な者たちと交際しないようにと書きました。

10
それは、世の中の不品行な者、貪欲な者、略奪する者、偶像を礼拝する者と全然交際しないようにという意味ではありません。もしそうだとしたら、この世界から出て行かなければならないでしょう。

11
私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。

12
外部の人たちをさばくことは、私のすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。

13
外部の人たちは、神がおさばきになります。その悪い人をあなたがたの中から除きなさい。

 

 

 

コリント人への手紙 第一 6章


1
あなたがたの中には、仲間の者と争いを起こしたとき、それを聖徒たちに訴えないで、あえて、正しくない人たちに訴え出るような人がいるのでしょうか。

2
あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるはずなのに、あなたがたは、ごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。

3
私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。

4
それなのに、この世のことで争いが起こると、教会のうちでは無視される人たちを裁判官に選ぶのですか。

5
私はあなたがたをはずかしめるためにこう言っているのです。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することのできるような賢い者が、ひとりもいないのですか。

6
それで、兄弟は兄弟を告訴し、しかもそれを不信者の前でするのですか。

7
そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。

8
ところが、それどころか、あなたがたは、不正を行なう、だまし取る、しかもそのようなことを兄弟に対してしているのです。

9
あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけまんせん。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、

10
盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。

11
あなたがたの中にある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。

12
すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません。

13
食物は腹のためにあり、腹は食物のためにあります。ところが神は、そのどちらをも滅ぼされます。からだは不品行のためにあるのではなく、主のためであり、主はからだのためです。

14
神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちをもよみがえらせてくださいます。

15
あなたがたのからだはキリストのからだの一部であることを、知らないのですか。キリストのからだを取って遊女のからだとするのですか。そんなことは絶対に許されません。

16
遊女と交われば、一つのからだになることを知らないのですか。「ふたりは一体となる」と言われているからです。

17
しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。

18
不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行う者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。

19
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。

20
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。

コリント人への手紙 第一 3章~4章

1 さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。

2
私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。

3
あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。

4
ある人が、「私はパウロにつく」と言えば、別の人は、「私はアポロに」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。

5
アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰に入るために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。

6
私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。

7
それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。

8
植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。

9
私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。

10
与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。

11
というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。

12
もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、

13
各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。

14
もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。

15
もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。

16
あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

17
もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。

18
だれも自分を欺いてはいけません。もしあなたがたの中で、自分は今の世の知者だと思う者がいたら、知者になるためには愚かになりなさい。

19
なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕らえる。」

20
また、次のようにも書いてあります。「主は、知者の議論を無益だと知っておられる。」

21
ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。

22
パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです。
コリント人への手紙 第一 4章


1
こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。

2
この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。

3
しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。

4
私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。

5
ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。

6
さて、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロにあてはめて、あなたがたのために言って来ました。それはあなたがたが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない。」ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して高慢にならないためです。

7
いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものではないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。

8
あなたがたは、もう満ち足りています。もう豊かになっています。私たち抜きで、王さまになっています。いっそのこと、あなたがたがほんとうに王さまになっていたらよかったのです。そうすれば、私たちも、あなたがたといっしょに王になれたでしょうに。

9
私は、こう思います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、行列のしんがりとして引き出されました。こうして私たちは、御使いにも人々にも、この世の見せ物になったのです。

10
私たちはキリストのために愚かな者ですが、あなたがたはキリストにあって賢い者です。私たちは弱いが、あなたがたは強いのです。あなたがたは栄誉を持っているが、私たちは卑しめられています。

11
今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありません。

12
また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、

13
ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの世のちり、あらゆるもののかすです。

14
私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです。

15
たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。

16
ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。

17
そのために、私はあなたがたのところへテモテを送りました。テモテは主にあって私の愛する、忠実な子です。彼は、私が至る所のすべての教会で教えているとおりに、キリスト・イエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。

18
私があなたがたのところへ行くことはあるまいと、思い上がっている人たちがいます。

19
しかし、主のみこころであれば、すぐにもあなたがたのところへ行きます。そして、思い上がっている人たちの、ことばではなく、力を見せてもらいましょう。

20
神の国はことばにはなく、力にあるのです。

21
あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところへむちを持って行きましょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか。
23
そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。

 

 

 

コリント人への手紙 第一 1章~2章

1 神のみこころによってキリスト・イエス使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、

2
コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。

3
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。

4
私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。

5
というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。

6
それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、

7
その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現われを待っています。

8
主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。

9
神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。

10
さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。

11
実はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、

12
あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストにつく」と言っているということです。

13
キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。

14
私は、クリスポとガイオのほか、あなたがたのだれにもバプテスマを授けたことがないことを感謝しています。

15
それは、あなたがたが私の名によってバプテスマを受けたと言われないようにするためでした。

16
私はステパノの家族にもバプテスマを授けましたが、そのほかはだれにも授けた覚えはありません。

17
キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。それも、キリストの十字架がむなくしならないために、ことばの知恵によってはならないのです。

18
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

19
それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」

20
知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。

21
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。

22
ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシア人は知恵を追求します。

23
しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、

24
しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。

25
なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

26
兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。

27
しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。

28
また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわり、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

29
これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。

30
しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義の聖めと、贖いとになられました。

31
まさしく、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

 

 

コリント人への手紙 第一 2章


1
さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。

2
なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。

3
あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。

4
そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現われでした。

5
それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。

6
しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。

7
私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。

8
この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。

9
まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」

10
神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。

11
いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。

12
ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。

13
この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。

14
生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。

15
御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。

16
いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです。