フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

人は本当に人を許すことが出来るのか?

あなたは、もう、すでに会うこともない人が過去に言った言葉に傷ついて、思い出しては腹を立てるということがありませんか?カウンセリングや心理学の本によれば人は皆そういう傾向があるそうです。思い出しては頭の中でその人を攻撃する。過去の人の言葉が現在のあなたを傷つけるからです。ここに問題があるのです。相手はいないが、あなたを傷つけることが出来る。どの本にも解決策は書いてありません。釈迦は「恨みを捨てよ」と言っていますね。どう捨てるのでしょうか?蛇足ですが。聖書では兄弟が罪を犯しても謝罪すれば許せとイエスさまは教えています。たとえ1000回でも。わたしも謝って来るなら何回でも許せます。しかし、世の中の人は謝りません。自分が正しいと信じているからです。さて、これでも許せと聖書は本当に教えていますか?謝ったらと条件付きで許せと教えているのです。それでは、謝らない人に対して、相手のために祈りますか?呪ってはいけないので。それともある人たちが言っていたように、こころの中でその人たちを殺してしまいますか?実際には出来ませんが。もう一度確認します。ここでは、過去の人が言った言葉に傷ついたケースのみついて考えています。バプテスマを受ける人に対して牧師が、その人を許しましたか?と聞きます。「いいえ」と答えれば、洗礼を受けられないので、自分を殺して「はい」と答えますか?聖書でも人は報復を望むのです。そこで、復讐してはいけない。「復讐は私のもの。私が返報すると神は言われる。」と教えています。これこそ正義の神と言えます。さて、どうしたらよいか、さっさっと答えましょう。その人があなたに言ったことをあなたが修正すればよいのです。もう会うこともない過去の人。その人にあなたが言わせるのです。たとえば、「そんな顔で結婚出来るとでも思っているの?」と言われてこころが傷ついているなら、その人にあなたがこころの中でこう言わせるのです。「あなたの顔大好き。結婚したい。」と。どうです、いい気分でしょう。心の中でその人を殺すよりずっといい。このように、悪を善に作り変えましょう。いろいろなケースがあるでしょう。それに合わせて、自分の好きなように変えるのです。そうすれば、あなたは、過去の相手が言った言葉の呪いから解き放たれます。そもそもあの言葉が発せられた目的はサタンがその人の口を通してあなたを苦しめるためだったからです。サタンの手口を知らない人には分かりませんが、本当です。サタンは、人を苦しめることで快感を得ることをあなたは知らない。これが、理解出来れば、サタンから自分自身を守ることができます。牧師から許せますかと聞かれても、「ハイ、勿論です!」と笑顔で言えるのです。人を変えることも自分を変えることも出来ないと一般に言われています。しかし、あなたは、特定の範囲で変えることが可能です。なぜか?信仰の力で行なうからです。人を汚すその人が言った言葉は、神から与えられた知恵と力により、あなたの信仰により変化させることが出来るからです。こうしてこの問題はすでに解決済みになります。傷つけたその言葉は優しい言葉になり、その人は役に立つ人に変化しました。心の中であってもあなたのその人に対する気持ちは健全なものになりました。あなたはその人を愛したのです。過去はこうして変えられるのです。一般に言われていることは「過去は変えられない」ですね。しかし、変えられるのです。正確には神からの知恵と力によりあなたの信仰があなたのこころの中の事態を変化させたのです。思いを作り直すとはこういうことも含むのです。悪を善に正したのです。世を征服したのです。「ただ、許せ」では無理なのです。無理なのに出来たというなら、その人は偽善者です。どうしたら良いですか?と考えてみることが、あなたを解決へと導くのです。果たしてこれが、あなたにできるかどうか?これでサタンの闇の力である呪いは打ち砕かれ、あなたは自由になりました。あなたは、しあわせになったのです。ちょっとむずかしい話でしたか?あなたは、この話を聞いてどう思われますか?仏教系の人なら「合掌」ですか?キリスト教系の人なら「アーメン」と言いますか?それとも「ありがとうございます」ですか?ただの「ふーん」でしょうか。もし「ふーん」ならあなたはサタンの手口が巧妙であり、言葉で人を縛っていることを学ぶといいでしょう。滅びゆく者たちにベールがかけられていると聖書に書いてあるのです。栄光の神に感謝いたします。アーメン。