フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

教会に行きはじめた当時を振り返って

「イエスさまがわたしたちの罪のために十字架で死なれ、三日目に復活し今も生きておられる。このキリストを信じるなら、救われます。あなたも救われます。」

 

このように教わったかどうか覚えていない。覚えていないだけかもしれない。明確な救いのメッセージだと今ならわかる。友人に誘われて教会に行った。当時十字架と復活の意味が分からないと友人に話していたことは覚えている。理解し、信じるまでには時間がかかる。回りの人たちが、お祈りをしている。自分には出来ないけれど、祈る人たちは神にお祈りをしている。すごい人たちがいるものだと思った。なぜ祈るのか?なぜスラスラ言葉がでてくるのか分からなかった。友人が新約聖書を全部読んだことがあると聞いて、ライバル意識からわたしも読んだ。この世界とは全く違う世界のことが書かれていた。ただ、聖書のなかで一生懸命語っているイエスさまは好きだった。聖書に書かれている預言の個所があって、友人にどういう意味かと聞いてみたが、答えは得られなかった。しばらくしてその教会を離れた。預言の個所は今なら御霊から教えてもらっているので答えられる。聖書は自ら本気になって読む。書かれていることを信じて実行する。祈りが聞かれないと思うこともあった。分からないことがあってもいい。離れて行かないことだ。神がおられることが分かる人は、希望をイエスさまにおいて生きて行けばよい。神と隣人を愛する。御霊によって生きる。イエスさまの教えのすべてを一つ残らず注意して覚えておく。どの教えも軽く考えないようにしましょう。こうして光の中を歩む。当時、コミュニケーションできる知人、友人等に宣教した。今は、交友がないので、どうなったかわからないけれど、当時、全員に拒否されました。また、宗派が違うと各宗派間で敵意があることも知った。

 

自分と神との関係をしっかりと構築しましょう。隣人に対して愛と憐れみを知っているなら、「憐れみは裁きに打ち勝つ」と聖書に書かれていますので、そのようになります。主イエスにずっと従って行ってください。イエスさまは、きっとあなたを命の泉へと導いてくださることでしょう。アーメン。ハレルヤ。