フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

神の愛が分からない人は分からないままで

神を求めない人たちがいます。が、それは本人の自由意志なのでそのままでよいと思っています。宣教する人は神からのご命令に従って、主イエスの死と復活、そして神の御国について話す任務を持っていますが、聞く側としては、興味がない話かもしれません。人の傾向は若いころから高齢に至るまで変わらないからです。なぜなのかは神がご存じです。宣教の目的は失われた羊を探すためです。神の羊が滅びることを主は望んでおられません。自分が羊か山羊のどちらに属するかを気にかける人はまだ望みがあります。黙示録に次のように書かれています。「不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」(黙示22:11)ノアの日、ロトの日はノアとその家族、ロトとその家族が安全になってから、地に滅びが臨みました。この裁きは絶滅です。それと似たことが未来に起こります。同じではありません。ノアの日のようになると主は言われているからです。救われる人たちの数が満ちてから、滅びが来ます。666が現われるまでは、地に艱難がありますが、それは絶滅ではありません。666が現われる前に、救いの印を御使いが信者の額につけます。つけ終わった時点で、二つのグループに人間は分かれています。666が大艱難を引き起こしますが、彼も必要なのです。666と正体が隠されているからです。生きていれば、肉なる者は全員666に苦しめられるでしょう。艱難の前に携挙で逃げることは誰もできません。神は選ばれた者たちを救うことが出来ます。どのように?キリストの地上再臨のとき、神は御使いたちを地に送ります。大艱難の中から聖徒たちを救出するためにです。この時、まさに、「主よ来てください。」という祈りが成就するのです。王であるキリストが来られるときにです。地上はハルマゲドンです。地上に残った者たちは一部を除いて死体となるでしょう。一部は千年王国に入ります。ここが絶滅と違うところです。死体となった者たちは神の敵です。神を知らない者、不信仰な者たちで、彼らは不義を愛したがゆえに滅びるのです。神のこの裁きは全く正しいのです。勿論、救われる人たちもいます。彼らは永遠の命を受けます。神に祝福された者たちです。アーメン。